価値が分かるか、分からないかの話。

以前の記事で言及した話の続きです。

 

以下、抜粋します。

 

 

私のブログは見る人(本物の人)にとってはかなり価値が高いブログだと思います。ですが、その価値がわからない人がかなりいるのです。価値がわからないって致命的だと思いません?審美眼がないからです。美しいものを美しいと認識できないとも言い換えられます。

 

価値がわかるか、わからないかで人を判断したり、採用基準にするのもありだと感じます。その人の「価値がわかる度合い」(本物か) と、審美眼がわかるからです。

 

価値があることを価値がわからなくて、スルーする人ってかなり残念な人ですよね。以下の記事で似たようなことを書いているので、参考にしてもらえたら、幸いです。「凄い人ほど、自分を上回る人の凄さが理解できるという話」。

 

さらに、価値がわからない人に武器や知識を与えても有害なときがあるという記事が以下です。「猫に小判」。

 

価値がわかるかわからないか?の論点は、理解力があるかないかの論点と同じぐらい、重要だと感じます。

 

最近、私の発案?により、理解力の重要性がかなり高まっていますが、それと同じぐらい、価値がわかるかわからないかは重要だと思います。以上、ここまで引用。

 

「価値があるかないか」と「質が高いか低いか」の問題と、「売れるか売れないか」「結果が出るか、出ないか」は別問題です。

 

「売れるか売れないか」を決めるのは、知名度や宣伝力がけっこう影響を持ちます。私のブログは巷のインフルエンサーを凌駕していると客観的に見て、思いますが、売れたり、結果が出ているか?といえばそうではありません。

 

理由は、知名度がないからです。

 

同時に、「売れている作品」は知名度だけで、価値があったり、質が必ずしも高いわけではありません。小説なら、駄作を連発していた山田悠介という作家(Amazonレビューが酷評の嵐)や、水嶋ヒロの小説、ミリオンセラー突破(確か)のKAGEROUなどが挙げられます。

 

こんな小説がなぜ売れるのか?理解に苦しみますが、一言で片づけられます。知名度が抜群にあったからです。それだけです。話題性もありました。

 

逆に、価値があり(私が大量に読書した経験から判断)、質が高くても、売れない作品はたくさんあります。しかし、こういう本は本来、価値があり、質が高いのですから、書評家やインフルエンサーや、TVなどが盛んに話題にすれば、売れ始めると思います。

 

価値があり、質が高い作品は、きっかけがあれば、売れ始めるのです。ブロガーのちきりんなどが発掘した本が急に売れ始めることがよくありますが、読者は価値の判断ができないから、知名度があり、影響力がある人が推すと急に価値を感じ、評価し始めるのです。

 

そう考えると、他人や世間の評価ばかり気にして、本来の価値があり、質が高い作品を、今は結果が出ていないからといって、無下に扱うことの怖さが分かるかと思います。

 

自分の審美眼をもっと信じた方がいいと私は思うんですよ。価値がわかる人から見れば、価値があり、質が高い作品は一目瞭然でわかります。世間や評価軸のない人の意見など私は気にしません。私の審美眼で、今は評価されていなくても良いと感じたなら、良い評価を下します。

 

それが、後になって、後世に評価されることもありますからね。

 

そう考えると、「価値が分かるか、分からないか」ってけっこう重要な能力だと思うのです。

 

価値が分かるということは、本質を理解していることと同じであり、審美眼が磨かれています。

 

「理解力があるかないか」も論点として重要ですが、「価値が分かるか分からないか」

も重要な論点だと感じます。

 

「価値の分からない人」にいくら価値をわからせようとしても、豚に真珠です。そういう人とは、なるべく関わりを避けた方がいいかもしれません。物事の本質が分かっていないからです。

 

最後に、例を出します。

私は常々言っています。「価値があり、質が高い作品(本やWebサービス含む)だからといって、必ずしも売れるわけではない」と。そして、ある人も同調しています。

 

そして、売れる作品は成功者が言っているからとか、知名度が高いからということでもあり、ある人も同調しています。

 

また、私に向かって、ある人はブログで売れるのも、本で売れるのも結局は成功者が語るか、知名度があるかだといいます。それはその通りです。売れるとは「価値があるかや質が高いか」は多少関係がありますが、必ずしもイコールではありません。

 

これを理解しているはずなのに、ある人はこう言います。あるWebサービスを超えるサービスを作れば絶対に売れると。私は「はぁ?」となりました。私に言ったことを忘れているのでしょうか?

 

さらに、経営学ではスイッチングコストという概念があり、人間は慣れたものから、なかなか他のモノに動いたり、移ろうとしない傾向があるのです。それを余計に移ってもらうには、多大なメリットがあると知らしめる必要があります。

 

そして、そのメリットが盛んに宣伝され、知名度が上がる必要があるのですTwitterと似たようなサービスのマストドンがありますが、100万人は突破したようですが、まだTwitterからは完全に顧客を奪えていません。(今後は、どうなるかは不明です)

 

まぁ、彼の言うWebサービスはもっと小規模なものなので、チャンスはあるかもしれません。スイッチングコストも大規模サービスと比べたら、比較的、移りやすいでしょう。

 

ですが、それでも壁はあると思います。どれだけ、宣伝力、知名度が上がるかが勝負です。小規模ですから、リスクがほぼないので、チャレンジしたら?と思いますが、絶対に成功するとは言えません。

 

しかし、彼は私に話したことなど忘れて、自分に該当する場合は、絶対に成功するというのです。「自分に甘く、他人に厳しい」の典型例じゃないですか。

 

他人に該当させた理論なら、自分にも該当させなければおかしくありませんか? なぜ、自分だけには都合よく世界が回ると思えるのでしょうか? 自分が特別だから?ですかね。タイプ4の人なので、「自分は特別だ」と思い込みやすい認知の歪みがあるとは言えます。

 

もちろん、天才なら、自分だけは成功する確率が上がるとは思っていますが、あくまで確率が上がるだけであり、絶対に成功するなんて言えないです。そして、天才ほど、用心深いですし、才能もあるうえに努力家ですから、下手な言動は取りません。

 

私にはこの人の思想が理解できません。まぁ、リスクもコストもほとんどかからないのであれば、チャレンジすれば?とは思いますけどね。ただ、その人の自己認識がめちゃくちゃだとは指摘しておきたいです。自分に都合よく理論を作ったり、自分に都合よく解釈するなと。

 

他人に適合させた理論なら、自分にも該当するのだよと。これくらい、理解してないから、自己認識がおかしく、他人や世間の評価ばかり気にして、自分の判断軸、審美眼が作れないのでしょうね。

 

以上です。