「世の中や他人に過剰に期待しないほうがいい」

ニヒリズムな意見ですが、「世の中や他人に過剰に期待しないほうがいい」というタイトルで論じたいと思います。

 

 

「世の中や他人」は、基本的に自分のことを中心に考えています。利己主義が生物としての本能であるからです。利他主義の人もいますが、それはGIVEすることが自分の利益につながるからです。

 

利他主義も結局は自分のためなのです。

 

そういう世の中において、相手や他人に何かメリットを与えられないと、相手や他人は動いてくれません。

 

まず、相手の善意を期待してはダメです。

 

私は性善説性悪説かで考えたら、性悪説の方が正しいと思っています。私の人生経験から言えるのでしょう。そういう経験ばかりしてきましたから。以下の記事に「性善説性悪説について」書いています。

 

しかし、人を信じ、比較的良い待遇に恵まれている人でも、何度か裏切られた経験は持っていると思います。

 

そうなのです。相手の善意や、相手に過剰に期待するのは間違いなのです。私は正直、信じられる人はかなり少数だと思っています。私を裏切らず、最後まで信じてくれる人はかなり少数だという認識です。

 

それは、家族であり、ある人(1人ぐらい)であり、友人かもしれません。その他の人はメリットでつながっていると正直、思っています。

 

もちろん、メリットでつながっている人の中に、私とかなり信頼し合える仲にまで至る可能性のある人もいると思います。ですが、その数は不明です。

 

かなり、ニヒリズム的な視点でしょうか? ですが、あながち間違っていないと思うんですよね。

 

2対6対2の法則でいえば、世の中には自分の味方や強烈なファンになってくれる人が2割はいるということです。6割は浮動票であり、どっちでもないのです。そして、2割のアンチや敵がいることになります。

 

私のブログでも2人(か1人)だけしか明確なアンチはいませんでした。ブログ限定にしましたが、メディアらに私が知られていると仮に仮定して、2割には私を嫌う人がいると思われます。

 

政治家の石破さんが池上彰の選挙番組で言ってましたが、「自分を支持してくれる人間ばかりではない」というようなことを言ってました。そして、「世の中、そういうものでしょ」と言ったのです。これはまさにその通りと思いました。

 

2対6対2の法則はかなり使えると思います。つまり、6割の浮動票をいかにつかめるか、味方にできるかで、多数派になるかが決まるということであり、本や製品やCDでも多数に売れるかが決まるのです。

 

さて、「世の中や他人に過剰に期待しないほうがいい」のならば、何を信じ、拠り所にするべきなのでしょうか?

 

それはまずは自分です。自分のスキルや能力など、自分でできることを多くすることです。次に、妻や子供などの身内です。最後に、金です。

 

いわゆる、橘玲風に言えば、「人的資本」が第一であり、次に「社会資本」(私の定義では一部限定になりますが)や「金融資本」ということになります。

 

これら3つは信頼できると思います。その他のモノ(他人や友達でさえ)は、そこまで信用できないと私は考えています。少なくとも、上の3つ(自分、身内、金)よりは信用できないし、過剰に期待しない方がいいでしょう。

 

ニヒリズムな見方でしょうか?ですが、私も今までの経験上、搾取だけされ、利用し尽くされこそすれ、私を助けてくれた人などほぼいません。(敢えて言えば、図書館くらいです)

 

ほとんど、自力で乗り越えてきたのです。ほぼ誰も助けてくれていません。 

 

私はこのような経験から、「助けてくれるモノや人など、ほとんどいない」と認識し、逆に、搾取や利用はする者だらけという認識に至りました。

 

私は、世の中は冷たいと思っています。ニヒリズムな見方でしょうか?ですが、私の経験からすれば、そう思うのも自然なことです。自力で、独学ばかりで乗り切ってきた人生ですからね

 

ですが、過剰に他人や世の中に期待しなくなったことで、絶望や失望することは少なくなりました。「世の中って、所詮、こんなものだよね」と認識できるからです。冷めた見方ですが、大事なことだと思います。

 

以下の記事でも書きましたが、世の中や他人に過剰に期待する(コントロールできると思う)からこそ、不満を感じ、イライラするからです。最初から、求めなければ、不満やイライラは減ります。「世の中には不満を覚えるイライラ厨がいる」

 

ここから、「人類に絶望したシャア」の思想に気づきました。以下の記事で書いています。私も少し「人類なんか絶滅すればいい」と思い始めています。シャアに共感したからこそ、気づいたのです。あまりにも、私の体験が過酷で、冷たい世の中を渡って生きてきたからです。「ガンダム(初代ガンダムZガンダム逆襲のシャアF91まで)の凄い点を述べてみる」

 

迫害を受けた人って、人類に絶望した人たち、多いと思うんですよね。それとも、それでも他人や世の中に期待しているのでしょうか?裏切られ、搾取されまくり、利用しつくされ、それでも他人や世の中に「良い性善説な見方」ができるのでしょうか?

 

私の今までの人生経験からはそんな明るい見方はまったくできませんね。ですが、どうせ生きるのなら、「人生、世の中って所詮、こんなものでしょ」と冷めた見方をしつつ、自分のスキルを高め、有利になるべく生きたいと考えています。「私は別に今、死んでも惜しくないですから」。人生、所詮、こんなものです。

 

期待しすぎるからこそ、裏切られたとき(他人や人生や世の中)にショックを受けるのです。ならば、冷めた見方も大事だと思うんですよね。

 

最近、人間を美化するドラマや映画にうんざりしているんですよね。そういうモノで、昔は感動できていたのですが、今は「茶番」だと感じます。人間なんて所詮、この程度のものという「ドロドロしたドラマや映画」の方がリアルだと感じます。ま、そういう類のモノを見ると、気分も悪くなりますw

 

だから、フィクションなんてそんなに見ても人間とは何か?がわからないと感じます。あれらは人間が美化された作り物に過ぎないからです。

 

とはいえ、私は人生戦略上は「相手を信じる」ことも大事だとは思っています。こちらがまず信用しないと相手も信用しづらいからです。ですが、同時に「世の中や他人に過剰に期待してはいけない」とも感じていて、裏切られても「世の中って所詮、こんなもの」と思うようにしています。

 

ニヒリズムな生き方ですが、最初は信頼から一応、入ります。そこから、相手の態度次第で、信頼度は上下します。相手が期待を裏切るごとに信頼度を下げて行きます。期待に応えるたびに、信頼度を上げていきます。しかし、信頼度が上がった人でも、突然、裏切ることがあると理解しています。

 

最後に、私は「できた人間」にたまーに出会うときがあるのですが、そのときは感動します。「よく、この汚れた人間界で、そこまでできた人間になれたね」と。「どうやって、できた人間になれたですか?」と聞いてみたくさえなります。

 

逆に、できてない大半の人間に出会うと「ま、世の中、こんなものだよね」と思います。あまりに酷いと「そこまで、ひんまがったのはなんで?」と聞きたくなりますw 

 

できた人間(欠点が非常に少ない)は貴重種です。もし出会えたなら、大事にした方がいいです。そんな「できた人間」なんてほとんどいないのが人間界ですから。

 

以上です。