人は見えやすいモノ、わかりやすいモノが好きな話について(定量化できるモノや資格や学歴など)

人は見えやすいモノ、わかりやすいモノが好きな話について定量化できるモノや資格や学歴など)というタイトルで論じたいと思います。

 

 

まず、私の話をします。私は基本情報技術者試験の勉強をある程度、しました。この話をすると、他人からは「どの程度、勉強したのか」は把握しづらいと予測します。受かったなら、合格レベルまで達したのだなと簡単に把握できますが、勉強しただけだとどれくらいの知識定着度かわかりづらいのです。

 

しかし、私は思います。「まったく勉強したことがない人」「ある程度、勉強した人」「かなり勉強した人」ではやはり、資格に受かってなかったとしても、大きな違いがあると。

 

資格や学歴は、受かったか落ちたかの2択であり、そこにはグレーゾーンがありません。本当は、合格スレスレで落ちたのかもしれないのにです。合格スレスレで落ちた人は、かなり知識がある人でしょう。

 

ですが、そういう点は見過ごされています。わかりづらいからですね。そこで、提案があります。

 

ある一定以上の学歴や資格には、グレーゾーンも表示したらいいという案です。例えば、TOEICはスコア制ですから、非常にわかりやすいです。

 

大学受験も不合格A、B、C、Dとか、不合格だけど、6割取れていたなどの情報を追加したらいいと思うのです。資格も同じです。もちろん、資格の場合、ある一定以上の知識を有した者という証明の意味合いや完成度の意味合いであれば、合格者が優遇されるのは当然でしょう。

 

ですが、それでも不合格者にも割合を示すことで、採用者や他人から見たら、合格、不合格の2択より、遥かに得られる情報が多くなります

 

つまり、他人を判定する上で、ある程度の目安になるのです。

 

東大を受けてギリギリ落ちて、早稲田・慶応に来た人材と、早稲田・慶応に1本絞ってきた人間とでは勉強量が圧倒的に違うわけです。(科目数が違いますからね。または文系の場合、理系科目も勉強してきたのが東大落ちて早稲田・慶応組です)

 

もちろん、結果からしか判断できない人間は、東大を落ちて早稲田・慶応の人と、早稲田・慶応1本の人を同様に評価します。「結局、東大に落ちて、結果を出せなかった人」という評価しか出しません。しかし、明らかに差はあるのです。

 

仕事で成果を出すのが社会人としての目標であるのなら、上を目指して失敗した人と最初からその目標だった人は区別しなければいけませんし、推薦入試と一般入試も区別しなければなりません。

 

世の中にはグレーゾーンがあり、TOEICのようなスコア制(他の資格や学歴はそうはない)はかなり理想的な評価の仕組みだと感じます

 

相対主義であり、大学には定員がある以上、落とすための試験ですから、大学入試は難易度調整があり、受かったか落ちたかの評価しかされない傾向があります。ですが、私からすれば、社会人の目標は仕事で成果を上げることなので、学力という狭い視野だけでみれば、グレーゾーンを見ないのは間違いだと感じます。

 

世の中はグレーゾーンがつきものです。以下の記事でも書きましたが、可能性や仮定の話でも、2種類あり、可能性の高いモノと低いモノがあります。

 

また、以下の記事でも書いた通り、結果や目に見える世界からだけしか見ないと、グレーゾーンや目に見えない世界を見ていないわけであり、真実を見過ごします。

 

または、定量的なモノやわかりやすいモノに安易に飛びつく者は、定性的なモノを評価から外すか、無視しがちになります。

 

コミュ力や創造力や意思決定力(これは推測力や予測力だから、ある程度、精度判定が可能かな)など、定性的なモノをあまり重要視しなくなるのです。

 

ですが、コミュ力や創造力は高度なビジネス系の仕事をするなら必須要件になりつつあるでしょう。政治の世界や教育の世界はコミュ力がかなり必要です。創造力は芸術系やビジネスの企画などで必要になります。

 

コミュ力も創造力も大学入試では測られていません。面接といってもそこまで綿密にやっていません。創造力なんて小論文の一部では測れるかもしれませんが、ほんの一部です。

 

どちらも高度人材には必須の能力であるにもかかわらず、高学歴でさえ、ほとんど測られていないのです。だから、東大生にはアスペルガーが多いと言われています。(まぁ、アスペルガーでも理系の研究職なら務まるでしょう。ITもです)

 

定性的な部分をあまりにも軽視しすぎていたのが今までの日本でした。今後は、定性的なモノをなるべく定量化する動きになっていくと思われます。

 

さて、世の中、白黒思考や「勝つか、負けるか、受かるか、落ちるか」だけじゃないのです。グレーゾーンを見ることにより、確率思考ができるようになります。

 

もちろん、意思決定の際は、結局は「やるか、やらないか」の二択になることが多いのですけどね。また、折衷案もあります。

 

私の選挙の予測にせよ、ソフトバンクの予測にせよ、結果的に見たら「当たるか、当たらないか」の2択なわけですが、その予測の背景にはグレーゾーンによる確率思考があり、または重要因子や要因分析があります。

 

結果だけでしか見ない人や、結果重視主義者は、概して白黒思考になりがちです。ある浪人生は、1日に0時間の日と7時間の日などに両極端に勉強時間が変動します。理由は「やる気になり、やった日は記録に残るので、意味があるけど、やる気にならないでやらなかった日は意味がないから」だそうです。

 

私は思いました。1日に数時間でもやれば全然違うのにと。世の中、積み重ねが大事です。勝敗だけしか見ない結果主義者には、「勝たなければ意味がない」と言い、それまでのプロセスも見ないし、グレーゾーンも見ません。

 

資格試験でも、受からなければ意味がないわけであり(もちろん、独占業務系の資格なら取らなければ仕事をできないです)、勉強して知識が身につくことの価値をまったく見ないのです。

 

「東大に落ちて、早稲田に来た人」も、「東大に落ちた負け組」としか判断しないのです。本当は、ギリギリで落ちたのなら、実力は身についているわけであり、その後の人生で挽回可能な潜在能力があるかもしれないのに。。。

 

人は見えやすいモノ、わかりやすいモノが好きなのです。「定量化できるモノや資格や学歴など」ですね。

 

しかし、グレーゾーンや確率思考を身につけた人は、そういうモノに安易に飛びつき、判断の拠り所にしないで、目に見えないモノにも想像を働かせられると思います。定性的なモノの重要性も認識しているでしょう。

 

こういう世の中の構造を知らない人には私は「?」が思い浮かびます。

 

以上です。