氷山の一角

まず、以下の記事をお読みください。

 

 

 

簡単に要約します。

 

発想が豊かだけど、実行力が伴わない人がいます。または、自分では実行しないでも、他人に手伝ってもらうのも才能だといいます。

 

豊かな発想で実行力もあるなんて人は幻想の世界だといいます。豊かな発想だけで、自分では実行しなくても他人に手伝ってもらい、やってもらう「口だけの人」が必要だといいます。以上、ここまで。

 

氷山の一角という言葉があります。

 

「氷山の大部分は海中にあり海上に見えるのはその一部分であることから、好ましくない物事を指し表面に現れている事柄は全体のほんの一部分という例え」 はてなダイアリーとあります。

 

つまり、私が言いたいことは、氷山の一角は悪い側面について語られてますが、その例えを別の良い方面にも当てはめると、その人の発想や文章というものの陰には膨大な無駄な作業や努力が隠れているということです。

 

口だけの発想の人の情報にも、陰には膨大な努力が隠されているのです。

 

以下の記事「一部を見て全体を知ることは間違いか?または一部は全体の何かを表しているとも言えるだろうか?」を書きました。

 

 

結論は場合によるので、時々で考えないといけないというものでした。自殺の背後には自殺予備軍が無視できない数でいますし、いじめ自殺は外れ値ですが、いじめは日常茶飯事な事柄です。

 

10分の面接、または医者の5分くらいの診療でも、そこから、何かを見出さないといけません。10分の面接で見抜けることには限界があります。5分の診療でも限界はあるでしょうが、簡単な病気なら、診断を下せるでしょう。

 

統計学も少数のサンプルで全体を把握しようとします。選挙でも少ししか把握してないうちに、当選情報を出してしまいます。

 

しかし、私の執筆物もそうですが、公開しているブログ記事は100の執筆物のうち20として、100の執筆物の陰には、書くに値しない膨大な無駄情報(それこそ10000以上?)があるわけです。

 

もっと正確に文字量でいうと、10000万冊以上の情報収集(ビジネス書7000冊以上やTwitter情報や音声情報やフィールドワーク情報などすべての情報収集含む)から、執筆物新書7冊~10冊分くらい(書評記事や未公開ブログ記事などすべて含む)であり、仮に執筆物を10冊と簡略化すると、10割のうちの2割、つまり新書2冊分ぐらいはブログ記事で公開していると思われます。(既に331記事も投稿していますからね)

 

膨大な無駄情報、努力の上に執筆物100があり、さらに一部20をブログで公開しているだけなのです。それを知らない人は「自分にも簡単にできる」と豪語したりするわけです。

 

私と同じぐらい情報収集をしない、または情報収集をどれくらいしているかも知らないで、「自分にもできる」と簡単に言う人がいるから、私は「ああ、この人は膨大な無駄な情報収集作業まで見えていないんだな。陰の努力も見えていないんだな」と本当に呆れてしまいます。

 

ブロボクシングでも、あの世界戦の1戦の陰には、たくさんの人の陰の努力があるのです。村田諒太選手が世界チャンピオンになりましたが、あの背後にはたくさんの人の努力が詰まっています。村田選手自身もあそこまでたどり着くには膨大な努力を積み重ねてきたのです。

 

「その見えない努力をどこまで想像できるか?」でその人の価値がわかります。想像すらできない人が「世の中、結果だよ」と簡単に言うのですから。私は「結果が大事」なのは本当に思っていますが、気軽には口にはできません。なぜなら、膨大な努力の陰が想像できてしまうからです。

 

「結果がすべて」と簡単に口にできないんですよ。陰の膨大な努力が私にはよくわかるし、想像できるので。相当、ストイックにプライベートのほとんどを犠牲にして努力したんだろうなぁと想像できてしまうわけです。

 

その膨大な努力を見えない、想像できない人が「他人を簡単に批判する人たち」です。外野から、口を出すだけの人たちです。当事者目線になったら、気軽に批判なんてしづらくなくなります。

 

まぁ、人間の大半は「自分には甘く、他人には厳しい」ですからね。だから、くだらない生き物だなと思うわけですが。以下の記事でも書いています。

 

 

まぁ、「一部から、何が見えるのか、想像の幅を広げて欲しい」と読者の方には言いたいです。できている人もいるでしょうし、できていない人もいるでしょう。できていない人は考えてみるのもいいかもしれません。

 

以上です。