「なぜ、選挙で棄権すると政治に意見を言う資格がないと言われるのか?」(追記かなりあり)

「なぜ、選挙で棄権すると政治に意見を言う資格がないと言われるのか?」というタイトルで論じたいと思います。

 

私は、今回の選挙は棄権しました。理由は投票したい党がないからです。

 

 

そう言うと、人は「選挙で棄権するってことは政治に今後、文句を言う資格がなくなることだよ」といいます。

 

しかし、私は思うのです。棄権も立派な意思表示だと。

 

買い物に例えてみます。買い物でA~Eという商品があるとして、どれも欲しくない場合があるとしましょう。その場合、当然「買わない」という選択肢を取ることができます。必要ないですし、欲しくないのですから、当然ですよね?

 

ですが、政治になると、A~Eの党の商品を買わないと(票を入れないと)、意思表示になっていないようなのです。「買わない」(票を入れない)という選択肢を取ってはいけないと言われるのです

 

なぜでしょうか?理由は、選挙には金がかかっているというのもあるでしょう。1人につき600円くらい(確か) かかっているとTVで聞いた覚えがあります。

 

再び、買い物の例に戻りましょう。A~Eの商品を600円あなたが払っているから、「選んでもっていってくれ」と言われた状態と同じです。というか、600円を強引に払わせているのですけどね。それでも、A~Eの中の商品に積極的に欲しいものがなかったらどうしますか?いらないものはいらないですよねゴミになるだけですから。だから、「どれも欲しくない」という意思表示もあるわけです。

 

選挙も同じです。どの商品もいらないのです。そうなると、与党の持続を間接的に支援することになると言う人もいますが、じゃあ、「どれかを選ばなければいけないのか?」「究極的には与党か野党かの二択で必ず選ばなければいけないのか?」という話になりますよね? (その他の党に入れる選択肢も入れますが、それをするぐらいなら、棄権でも同じでしょう。重要性薄いですから)

 

そもそも、与党の持続を間接的に支援することになると言う人は、野党側なわけです。だから、本当は反対票、つまり野党に入れて欲しいわけです。じゃ、そう言う人には「与党に入れますが、いいのですか?」と聞きたいですね。与党に入れたら、与党への票は確実になります

 

それよりは、「棄権のほうが与党の票にもなってないので、実は、マシ」なのです。

 

私は政府が自分の味方なのかそうでないのか?の区別が現在、不明なので与党、野党どちらにもつかず、棄権したわけです。また、メディアも敵なのか味方なのか不明なので、メディアの動向へも静観しているわけです。

 

つまり、中立を保っているわけです。下手に動くわけにはいきません。

 

もし、政府が私の完全な味方であると教えられて本当だったなら、私は与党に票を入れに行ったでしょう。ですが、不明なのですから、棄権するのが筋です。

 

私の事情はともかく、棄権にも意思表明はあるのです。

 

棄権の意思表示がなぜ、絶対的にダメと言われるのか、よくわかりません。投票率が下がると、民意の完全な反映じゃないと言われますが、そもそも投票したい先がない人は棄権してもいいと思うのです。

 

投票したい先がある人は、積極的に商品を買う(票を入れる)という意思表示をすべきです。

 

私の個人的な事情はともかく、一般的に自分の信念と近い政党がなかったり、ほぼ影響力がない党だったら、棄権してもいいのではないでしょうか? 投票は義務なのでしょうか?

 

義務で、欲しくもない商品を強引に、情報も判断力もない人も含めまれた中で、選んで買わなければならないのでしょうか?

 

もし、投票は国民の義務だと言うなら、もっと政治教育を国民にきちんと義務化して全員に課すべきでしょう。じゃないと、情報も判断力もない人が投票することになります。

 

義務じゃないからこそ、政治や選挙の勉強が国民全員に強制的に課されていなく、自由な選択とされているのだと思います。と書くと、「労働は義務だが、職業選択の自由がある」と言う人がいるでしょうが、「投票は義務だが、政党の選択は自由だ」とでも言うのでしょうか?

 

労働の場合は、義務教育という言葉もあるとおり、教育が必須です。しかし、政治や選挙にそういう義務教育みたいなものはありますか?ないですし(毎回の選挙に合わせて義務教育はないです)、今更、社会に出た層に再教育するのも難しいでしょう。

 

また、以下の記事もあります

引用します。

 

選挙権って、参政権とも言いますけど、政治に参加する権利です。

 

それを放棄したのですから、税金がどんなに高くても例え徴兵されるようなことがあっても、文句は言えないんですよ。善政をさせるための選挙です。

 

選挙に行かない人はどんな政治をしてもいいですよって、白紙委任状にサインしたと同じです。むしろ悪政があるから政治に関心を持たざるを得ないのですが・・。以上、ここまで。

 

とありますが、では、自民党は消費税増税をするって言っていて、希望の党は消費税反対でしたが、消費税反対だからといって、希望の党に入れるべきなのでしょうか?(その時点では希望の党寄り) 

 

ですが、原発ゼロには反対している人は希望の党の理念に会いません。(この時点では他の党より) つまり、全てが自分の思想や理念と合致している党をなるべく探すのは重要ですが、それらがなかった場合、投票をする意思を示していないからといって、政治に文句を言えないという理屈はおかしいと思うわけです。

 

とりあえず、政党のすべての理念には同意していないけれど、投票したのだから、政治に文句が言えると言う人は、「じゃ、希望の党」に入れたら、すべての希望の党の理念に反対してはいけないということになるのですか? 世の中、自分の思想や理念と完全に合致した政党は珍しいです

 

そして、そのごちゃまぜな政策を持っている政党たちの中で、仕方なく全部の意見は同意じゃないけれど、票を入れるという選択をするわけです。これって、本当に欲しいものがなくても、どれかを強引に選べと言っているのと同じです。

 

そもそも、選挙とは「本当に欲しいものを選ぶ行動ではなく、マシなものを選べ」というものなのです。しかし、マシなものなら、本当にマシにもかからない「いらないモノばかり」だったら、どれもいらないという選択肢は取ってはいけないのでしょうか?

 

こう書くと、投票率が下がるから、あまり言いたくはないのですが、選挙の本質って「マシなものを選ぶ行為」なんですよね。「マシなものを選んでいるから、私にはそのマシなモノを提供している店に文句を言う権利がある」っておかしくないですか?

 

店自体がそもそも「きちんとしたモノを提供する必要がある」と思います。ですが、選挙や政策の本質上、難しいのですけどね

 

まぁ、自民党憲法改正に反対している人がいても、経済には良いからと自民党に入れた人もいるでしょう。このように、どの政党に入れるか?はかなり微妙な問題です。

 

自民党の経済政策は野党よりはマシだから賛成だけど、憲法改正には反対だ(徴兵制になるかもしれないし)という人は、野党に入れるのでしょうか? そういう人は野党に入れたということで、経済政策には文句を言えるのでしょうね。

 

しかし、野党の経済政策は嫌だし(自民党やその他の党寄り)、かといって、憲法改正も嫌だし(野党やその他の党寄り)、原発ゼロも嫌(希望の党以外などの党寄りだなどで、どの党にも入れたくない人が棄権したら、政治に文句を言ってはいけないのでしょうか?

 

私は欲しくないものは欲しくないというのも意思表示の一つだと思っています。単に投票した人も、マシなモノを選んでいるに過ぎず、周りから「投票しない人は権利を捨てているのだから、文句をいえる立場にないよ」と脅されているに過ぎないと思います。

 

私はこのような疑問を抱いています。

 

また、以下の記事で「選挙で選択肢がない人はどうしたらいいか?」のヒントになりそうなことが書かれています。

 

さらに、投票率が仮に下がれば、自民党がかなりの大勝利をしても「民意の反映だ」と堂々と言えないと思います。具体的な数字で示せば、国民の大半が投票してない中では「民意を充分に反映した」なんて堂々と言えないわけです。むしろ、「消極的選択から選ばれた」という解釈が正しいでしょう。そして、「今後も、奢らず、政治に邁進していきたい」と言えばいいわけです。

 

「民意の反映だ」と投票率が下がって、大勝利して自民党が発言したら、その隙をつけるわけです。ま、おそらく、上のような反論をされるから言わないでしょうが。

 

また、言いたいことがあります。民意がどれだけ信用できるか?という話です。民意とは、基本的に自分の味方になりそうな人を応援する層の、集約的な反映ですよね?

 

自分の味方、利益になる政党や政治家を応援するのが普通です。ですが、それって結局、高齢者なら年金を増やしてくれや、医療費を増やしてくれなどになりますし、若者なら、税金をこれ以上取るなになります。しかし、国が成熟期に入り、少子高齢化で、超高齢化社会である以上、そんな上手い話を実行したら、国が傾きます。

 

つまり、税金は安くして、医療費も年金も増やせるわけがないのです。民意なんて当てにならないのです。となると、一部のエリート?が大局観を持って、アメの政策ばかり言うより、きちんと国家運営をしないと国が持たなくなります。

 

ということは選挙の民意っていったい何なのか?という話になります。大学受験でも受験生の要望を聞いたら、試験が易しくなります。顧客が神様と言われているビジネスの世界とは、国も大学受験も異なるのです。

 

国民が神様の世界でないのです。もちろん、国家や権力側が神様でもありませんが。国民の民意なんてその程度のものなのです。政治家は建前上、「民意を得られた」といって国民が嫌がる政策でも断行しますが、実際は民意なんてその程度のものです。

 

これを理解せずに、政治家は国民の味方だ、民意を反映してくれるなんて思ってると痛い目に遭うと思います。 結局、ビジネスと違って、国民を神様目線にすると国が持たなくなりますからね。

 

さらに言いますと、どの層が多いか(老人層や中年層や若者層や、男女層など)によって、民意の反映のされ方も違うでしょう。老人はかなり多いですし、投票率が高いからといって、年金を増やし、医療費を増やせるかって話です。

 

層の違いによって有利不利があります。また、税金を収めている層によっても不満が上がるでしょう。大半は所得税も収めていなく、そういう労働層が大半であり、そういう労働層の話ばかり聞いていたら、富裕層の立場はどうなるか?となり、有利不利があります。(実際は、少数の富裕層の味方が自民党ですが)

 

層の違いにより、有利不利があり、同じ一票として扱うべきなのか?という根本問題があります。これも、正確に民意が反映されていると言えない要因です。民意なんて、所詮、その程度のものなのです。

 

さて、選挙の記事は以下です。政治に興味が薄い私が、そこそこ調べて記事化しました。読む場合は、必ず、2記事とも読んでください。つながりがありますので。

 

以上です。