企業の採用試験で取り入れるといい案2

前回の記事は以下です。

 

今回の記事も2012〜2013年ごろかなぁ。(未熟なときです)

 

 

朝日新聞の生き残り策を考える」

私が、ずっと前にブログの記事で書いた提案が朝日新聞によって実行された。朝日新聞が過去の記事を検索できるサービスを始めたのだ。私はブログで、はっきりと、日経テレコンのようなサービスを他紙も追随した方がいいと書いていた。

 

数分で考えたアイデアとも書かれていたが。私は朝日新聞に依頼も受けてないし、義理もないのだが、私の提案されたアイデアが実行されたので、多少責任を感じている。数分で考えたアイデアなので、考察が甘かったと思っている。

 

日経テレコンは確かに需要がある便利なサービスである。日経新聞は紙の新聞でも、記事をスクラップするほどの熱心な読者がいる。その労力を省ける過去の検索機能はそういう熱心な読者は手が出るほど欲しいはずだ。

 

そして、コンテンツ次第だともブログ記事に書いていた。日経新聞は専門的であり、ビジネスマンに熱心に読まれている。コンテンツが求められているのだ。だから、過去の検索機能は、需要がある。

 

しかし、普通の新聞だと、そこまで、需要がないかもしれないなと思い、反省している。もちろん、電子新聞への移行は避けられず、朝日新聞が過去の検索機能をつけたのはまったく意味がないわけではない。

 

でも、電子新聞への購読を促すような魅力があるかどうかはわからない。朝日新聞のコンテンツ次第ともいえる。朝日新聞のコンテンツが魅力的であれば、過去の検索機能も意味をもつ。とはいえ、現在の朝日新聞のコンテンツでは、そこまでの魅力はないだろう。

 

ツイッターなどのSNSで情報収集していれば、ほとんどは手に入る内容だからだ。しかも、無料で。さらに、ツイッターは速報性がある。新聞は1日遅れる。この差も大きい。日経新聞のコンテンツは、ツイッターで流れてくるが、途中まで読ませて続きは電子版でとなっている。

 

そして、日経新聞のコンテンツは読みたい気分にさせる見出しである。私は今のところ、日経新聞の電子版も紙も取ってないないが、新聞をどれか1紙取るなら?と言われたら、迷わず日経を選ぶだろう。朝日新聞がコンテンツでどれだけ差別化できるか?が問われている。

 

あとは、新聞離れを起こしている若者をどれだけ取り込めるか?が勝負だ。老人がいなくなったら、新聞はかなりヤバい状況になると思う。今の若者はTVもそれほど見ないし、新聞ならなおさらSNSなどで済ませてしまう。

 

私は新聞が守りに入り過ぎている、つまり保守的なのも、若者からは敬遠される理由だと思う。週刊誌は芸能ニュースや政治家批判など面白さがある。そして、週刊誌は奇抜な見出しを使うし、内容も過激な場合もある。週刊現代週刊ポスト週刊プレイボーイや週刊SPAや週刊文春週刊新潮などを毎週立ち読みしている私からすれば、新聞は真面目すぎるのだ。

 

老人世代には受けがいいのだろうが、若者はあまり固い内容は欲してない。ネットの情報(NAVERまとめなど)は内容が奇抜であり、どちらかと言えば週刊誌に近い。週刊誌はアイドルのグラビアがあるが、そこも若者に受けがいいはずだ。もはや、新聞は固いのだ。

 

もちろん、新聞は記事の信頼性が第一であり、誤報は許されない。信頼性とは不真面目な内容を載せるのとは逆のイメージ。だから、新聞は固くなるのだろう。しかし、若者からすれば、信頼性より、面白さや必要さを重視していると思う。日経新聞は、面白くはないが、必要さが群を抜く。ビジネスに必要だし、有利になるから、強制的に読むわけだ。

 

週刊東洋経済週刊ダイヤモンドも、必要さや有利さをアピールしている。私もこの2誌はよく読む。新聞が媒体の性質上、面白さをアピールできないのであれば、必要さ有利さをアピールする戦略しかないのではないだろうか?

 

日経新聞週刊東洋経済週刊ダイヤモンドの路線である。最後に整理しておくが、面白さとは奇抜さや週刊誌のような見出しや内容やアイドルのグラビアなどの遊び的要素のこと。必要さとは日経新聞のように読まないと置いていかれるという内容。有利さとは他人と差別化できる、つまり読むと人生有利になるような内容(週刊東洋経済週刊ダイヤモンドや巷の名著など)。

 

あとは、今後、SNSが新聞の座を奪うことは十分にありうる。究極のメディアの進化形とは個人が必要とする記事がカスタマイズされて送りとどけられることだ。つまり、自分の興味ある内容だけ読めればいいのだ。

 

もちろん、反論はある。新聞側が取捨選択した記事は専門知識を持った記者が選んでいる。素人に選べるものかと。でも、素人でも、学習能力はあるので、そのうちに選び方が上達していく可能性はある。ネットの膨大な情報から、自分が必要な情報だけ読めるのが理想の進化形

 

新聞は根本的に生き残るつもりならば、この流れからは逃れられない。新聞の記者がキュレーションをする時代は終わった。それよりも、電子新聞に移行して、内容を豊富にし、個人が興味ある分野を選べるようにし、配信する時代になると思う。記者もブランド化し、個人名で勝負する時代になる。

 

記者の個人名で、読む価値があるかどうか判断するようになる。なぜなら、興味ある分野を読者が選ぶので、記者が強制的に読ませることは不可能になるからだ。読者はもはや、信頼があると思う記者しか信じないし、読まなくなる。記者は新聞の名前で勝負する時代じゃなくなる。このような未来が待っていると思う。

 

その位置に一番近いのが、SNS。新聞がSNSに淘汰されるか、時代を読んで、SNSと勝負するか?もちろん、新聞も残ると思うが、縮小するだろう。現代でも、この流れは既に生じている。テレビで話題を共有する人は減り、個人がそれぞれのメディア(ツイッターSNSニコニコ動画など)で、各々の好きな情報を得ている。音楽でさえ、個々が、Youtubeなどで、好きな曲を選んでいる。

 

TVで知るより、自分でYoutubeで選ぶのだ。その流れが新聞にも来るのだ。さらに、記者が記事を書くだけでなく、素人が記事を書く流れも加速するだろう。電子新聞は朝日新聞などの看板名があるが、実際は記者と素人の記事が混合するようになり、どの記事を読むかは読者次第になる。

 

こうなると、朝日新聞の看板がそのまま残るかも怪しい。素人の参入を許さないシステムにすると、SNSがその流れを利用して躍進するだけだ。今でも、NAVERまとめなどは人気がある。

 

あとは、若者向けを狙うなら、有名人や芸能人を採用すること。アメーバブログはその路線だ。芸能人ブログである。新聞でも、有名人や芸能人が記事に登場すれば、多少は楽しさが出る。小手先の策なので、根本的ではないけれども。

 

他に考えられるアイデアとして、ジャーナリズムの精神はどうなったのか?がある。政治批判をする役割が新聞にはあると思う。しかし、最近の新聞はそこまで批判精神がないと感じる。その役割は週刊誌に行ってしまったかのようだ。週刊誌は過激なことも書ける。しかも週刊誌は、政治家の賄賂・献金などや腐敗などを書いている。芸能人のスキャンダルも扱っているが。

 

ジャーナリズム精神が週刊誌に移ったのだろうか?もちろん、訴訟リスクはある。でも、危険を冒しても正義を問う精神が雑誌にある。新聞はそういう記事を扱えない。新聞はもはや政治家の権力に逆らえないのかもしれない。記者クラブの問題も当然ある。記者クラブに呼んでもらえなくなれば、記者生命は終わる。こういう構造も、新聞の魅力を削いでいる。

 

前の記事より、考察は鋭くなったと思う。朝日新聞が生き残るにはコンテンツの強化(面白さの追求は難しいから、必要さ有利さの追求か)と、ネット時代への対応だ。根本的に対策を練るなら、究極のメディア進化形に対応しないといけない。具体的な策がなかなか提案できなくて申し訳ない。また、思いついたことがあれば、提案するかもしれない。とりあえず、前に書いたブログ記事が数分で考えたアイデアであり、考察が浅かったのと、それへの責任を感じ、筆を取った次第。以上、ここまで。

 

メディアの特性を「面白さ、必要さ、有利さ」に分けたのは当時としてはなかなか役立つアイデアだと私は今でも思っていますが、他の点では未熟な論考もあるかなぁ。

 

さて、以下の動画を見てください。

 

簡単に要約します。

TwitterなどのSNSの未来について。

 

信用できるメディアと信用できないメディアにバカは分けたがります。しかし、どちらのメディアにも信用できる、信用できなモノがあるといいます。

 

情報を集めるメディア(Googleなど)と、人と人をつなぐメディア(Facebookなど)があるといいます。使い方が大事だといいます。

Twitterは、有名人の発言を見るメディアだといいます。5〜10%の人の発言が、90%の流通量だといいます。つまり、影響力のある人の発言を見るメディアなのです。また、知り合いでつながるメディアとも言えます。ROM専(見るだけ)が多いのです。

 

常に正しい情報を出しているメディアは、歴史が後で証明するのが正しさの定義なので、正しさをメディアを求めるのは無理ゲーなのです。リアルタイムで生きるためには、一時的なメディアの真偽不明の情報で判断するしかないといいます。

 

ひろゆきは、一次情報として、「この人はこう言う」という情報が面白いから見ているだけであり、正しいか正しくないかはどうでもいいと言っています。芸能人のツイートも「へぇー、面白え」と見ているだけであり、正しさは求めてないと言います。どうせ、ステマだろうと。

 

歴史が後で正しさを証明するので、メディアの情報は常に仮説なのですね。以上、ここまで。

 

上の動画では、「正しさ」について書かれています。私の以下の記事でもTVの正しさについて書かれています。上の動画は、私の記事への批判的動画と見ることもできます。そして、ある程度、的を射ています。

 

私がいいたい「正しさ」とは、「真実」とは違うものであり(真実は歴史的に後で証明されることが多いので)、「ある程度、まったく現時点で嘘だと思われない、信ぴょう性の高そうな内容」という意味です。そういう「正しさ」は、TV局の報道にはあると思います。完全な真実は難しいかもしれませんけどね。

以上です。