人には天分がある

「人には天分がある」というタイトルで論じたいと思います。

 

天分とは、「天から与えられた性質・才能・職分」を指します。「天分をわきまえる」という言葉もあります。

 

以下の記事で、私は当事者意識やプレイヤー意識が大事であり、「管理職になれば管理職らしくなる」や「親になれば親らしくなる」と書きました。

 

これらは言わば、「地位が人を作る」とも言い換えられそうです。しかし、私は以下の記事で、自分の主張を否定しました。

 

 

立場に就いたり、自分事になっても、興味ない場合があるという話です。当事者、プレイヤーになっても、興味が持てず、本気にもなれないという話です。

 

そんなことを書いていたら、経営コンサルタント小宮一慶氏の「経営者の教科書」に似たような記述を発見しました。以下、引用します。

 

地位は人をつくらない。

 

地位を与えることに関して、私は一つ持論を持っています。「地位は人をつくる」と言いますが、私は必ずしもそうだとは思いません。正確には「もともとの実力や潜在能力のある人が地位につけば、地位は人をつくる」という意味だと思っています。

 

一般の人がプロ野球のバッターボックスに立つことができたとしても、プロの投手の球を打てるということはまずありません。それと同様に、実力や潜在能力を持った人でない限り、地位を与えても活躍はしません。

 

身体的な能力だけでなく、知的能力や精神的能力も、もともと持っていたもの、あるいはそれをある程度まで努力などで伸ばしたものでない限りは、場を与えても発揮できないのです。

 

ですから、人を昇進させる際などには、その人の能力や潜在能力などを見極めて地位を与えなければ、組織も大混乱になり、本人もとても大変なことになるのです。以上、ここまで。P293より。

 

 

 

私は当事者やプレーヤーになり、打席を与えるチャンスを与えるのは大事だと思っていました。しかし、興味がない人もいるので、チャンスを与える人を見極めないといけないとも書きました。

 

私とほぼ似たようなことを書いていたので紹介しました。誰もが経営者や一流のプレーヤーになれるわけではなく、そう考えると「人には天分がある」という言葉がぴったりと当てはまります。

 

「人には天分がある」のだから、皆を打席に立たせる必要はないのでしょう。管理職の適性がない人を管理職に就けるのは部下も迷惑を被り、本人も苦しみます。親になってはいけない人が親になれば、子どもが苦しみます。

 

当事者意識、プレーヤー意識を持たせ、早めに打席に立たせたり、チャンスを与えるのは大事なことなのですが、それには才能があり、野心がある人限定という特徴があるのです。

 

そういう才能も野心もない人は出世させるべきではないのです。周りも本人にも害が及びます。

 

この本質を理解しないと、組織や会社や国が滅ぶかもしれない重大事だと感じます。極端な例をいえば、「誰が社長や首相をやっても同じ」というのはほぼありえません。属人性が高い政治や経営の世界ではそうなります。

 

社長や政治家はよく選ばないといけません。ふさわしい人がやらないといけません。例えば、かなり愚かな知能な人が、首相をやり、教育改革やたくさんの政治改革をやったら、国の方向性がおかしくなり、国が衰退します。

 

結局、出世できなかった人というのは、やはり、「見る人」から見て「ふさわしくなかった人」なのです。傲慢に聴こえる人もいるかもしれませんが、その地位に「ふさわしい人」というのはいます。

 

そして、その地位にふさわしい人をきちんとつけないと組織は傾きます。かなり、要注意な点です。

 

以上です。