自己啓発本が大して役に立たない理由

私は以下の記事で、自己啓発本は私の記事を読めば、もうほぼ読む必要はないと書きました。

 

 

苫米地英人氏の動画や本で、自己イメージを上げろと言われており、仕事などで成果が出たら、「かなり大げさなぐらい褒める」といいらしく、失敗したら、「自分らしくない」で終わらせろと言っています。

 

 

しかし、将棋ウォーズで私は最近、1級に上がったのですが、負けると、なかなか「自分らしくなかった」と割りきれません。「ああすればよかった」とか「この手が見ていなかった」とか「ミスをした」とか、気になる点はかなりにのぼります。

 

勉強は、自分との闘いですから、相手に負けるということがあまりないです。以下に、自分との闘いと相手との闘いについて記事を書いています。

 

相手との闘いが一番、難易度が高いのです。勝負事の世界では、負けたら、悔しいですし、反省点がかなり出てきます。それは、真剣で真面目であればあるほど、出てきます。いい加減で向上心がなく、真剣じゃない人(遊び気分な人)は、将棋で負けても、「ま、いいか」で終わらせて、悔しいことはありません。

 

私は将棋は1日3回までしかやりません。「無料でできるのは3回まで」だからです。そして、その3回は真剣にやるのですが、限られた時間しか研究などに投入していないので、どうしても、上達が遅く、負けることもそれなりに多いです。

 

そうすると、悔しいわけですが、ここで苫米地氏が言うように「自分らしくなかった」で終わらせることが私にはなかなかできません。記憶力がいいのと、悔しさが半端無いからです。けっこう引きずります。とはいっても、せいぜい、15分ぐらいですが。

 

自己啓発本って、結局、「自己イメージを上げろ」「外野の意見、つまり自己イメージを下げる意見は聞くな」というものが多いです。しかし、自己イメージだけ上がっても、スキルや実力が伴わなければ、やはり成果は出ず、その間、勘違い野郎になります。

 

または、スキルが上がらない間は、自己イメージだけ上がる、つまり「勝って当たり前」が先に来るので、負けると(負ける場合も多い)、かなり悔しく、気分も悪いのです。

 

この気分の悪さを早く払拭し、実力やスキルを上げて、自己イメージと合致させないと、「かなり苦しい」と思います。

 

自己イメージと現在の実力、スキルが合致していれば、心の中は安泰です。将棋で言えば、1級で満足していれば、もはや言うことがないでしょう。達成したわけですから。これが、自己イメージが6段とかになると、なかなかそこまで到達しませんから、苦しい闘いが長く続くことになります。

 

以下の記事でも、書きましたが、世の中はピラミッド構造であり、勝者はほんのひと握りであり、難易度クリア事業なのです。

 

自己啓発の厄介な点は、自己イメージだけ上がって、現実の地道な苦しい限界的練習や努力が伴わないか、自己イメージと現在の実力が合致しない間、ずつと精神的には不全感があることです。つまり、満たされないということです。

 

ボクシングで言えば、世界チャンピオンが目標なら、日本チャンピオンにようやくなれても、まだ満たされません。過程ということになります。その間、不全感、満たされない感が続くのです。

 

世界チャンピオンになった後は、防衛記録をどこまで伸ばせるか?に目標の軸足が変わるでしょう。そして、5回以上などを掲げると、また不全感に逆戻りです。達成されるまでです。

 

このように、人生は難易度クリア事業なので、基本的に「楽して、高い目標が達成されることはない」のです。そりゃ、そうですよね。考えれば、誰でももわかることです。楽して達成される程度の目標なら、ほとんどの人が到達し、希少性がなくなり、価値が落ちます。

 

誰もが、99%の人がなれない場所に到達するからこそ、価値があるわけです。なので、「成功者」を崇める、目指すのは人それぞれですが、「楽な道は決してない」とだけは考えておくべきです。修行のような日々を過ごす、それこそ死ぬか生きるかの努力を伴うというプロセスを経て、達成されると見ていたほうが無難でしょう。

 

「私ならできる」と安易に言う人がいますが、それは自己イメージが上がっただけであり、地道な限界的練習(その分野が嫌いになるほどの努力)をしてないのなら、その思考は偽物です。

 

「私は成功します」と言う人の99%が失敗するのが世の常です。その人の行動を見るべきです。「実際に限界的練習をこなしているか?」が最低ラインです。それでも成功するかは未知数なのですから。

 

自己イメージだけ高い人は「自己のプライドも高くなる」ので、非常に扱いづらいです。「英検1級」を取っていないうちから、「俺なら、楽勝」とか言うのです。もちろん、1級ぐらいなら、猛勉強すれば取れると思いますが、それでも「やってないうちから、苦労してないうちから、楽勝」という発言は信用性がありません。達成した後に「楽勝だったよ」と言ってもらいたいものです。

 

自己啓発本は、「自己イメージだけ高い人を量産する危険性がある」と思い、危険性を感じています。とはいっても、「自己イメージがまず高くないと、努力もしない」ですから、必要な要素ではあるのですけどね。

 

しかし、世の中、「自己イメージが高い人」や「自己のプライドが高い人」が散見されます。彼らは、当事者やプレイヤーよりも、自分の方が上手くやれると信じ込んでいるから、政治家批判や経営者批判をするのでしょう。ほとんどの人が安倍さんより上手くやれませんし、ホリエモン(今のところ、成功者かは微妙)レベルでも真似できるか?も難しいでしょう。

 

まぁ、批判勢力あってこその当事者やプレイヤーですし、有名税なのですよね。要は、嫉妬ということです。自己イメージだけ高く、実力が伴わない人になると、当事者やプレイヤー批判をするようになります。なぜなら、彼らは当事者やプレイヤーよりも上手くできると思い込むほどの自己イメージ、自己プライドの高さだからです。

 

実際に、そういう人達に政治家や経営者をやらせたら、悲惨なことになるでしょう。そういう人達に是非、実際にやってもらい、体験してもらい、今度は批判される側になってほしいものです

 

ですが、そういう立場にならないと思っているからこそ、つまり、外野だからこそ、安易に批判できる見方もあります。かなり、ズルいのです。

 

私は以下の記事でも書いたように、プレイヤー批判は基本的にカッコ悪いと思っているので、批評家や評論家としての立場としてなら、精度の高い情報発信をし、プレイヤーが採用してもらえるように促すことだけをすればいいと思っています。

 

 

「自分に甘く、他人に厳しい人」だらけだから、世の中は。そう思っています。自分が当事者になったら、追及されるけど、そういう立場にならないと思っているからこそ、批判しまくるのです。

 

芸能人の悪口を言いまくる人は、芸能人に自分はならないか、TVに出ないと思っています。将来、芸能界に行こうとしている人は、身近に感じており、批判を戒めと見ています。自分事なのです。

 

以上です。