認知的不協和(追記あり)

まず、以下の記事をお読みください。

 

認知的不協和とは? 酸っぱい葡萄 甘いレモン 意味と具体例

 

人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。これを認知的不協和と呼びます。そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。

 

とあります。

 

「Aが手に入らないからAには価値が無い」

「Aができない」という自力で変えられない状況下で、「むしろAしないほうが良いのだ」と現状を正当化する方向に解釈することにより、精神的な負担を軽くする心理現象。

 

とあります。

 

「Aしか手に入らないからAには価値がある」

「Aをやめられない」という逃げられない状況下で、「むしろAをしたほうが良いのだ」と現状を正当化する方向に解釈することにより、精神的な負担を軽くする心理現象。

 

とあります。

 

【まとめ】

 

1 「Aが手に入らないからAには価値が無い」(酸っぱい葡萄)

2 「Aしか手に入らないからAには価値がある」(甘いレモン)

3 信念が強いほど矛盾した事実を受け入れ難い。

 

具体例を挙げます。

 

1 私の承認、評価が得られない人は、私には価値がないのだと思い込みます。私のこのブログは価値がないのだ、私は無能なのだ、よって私から評価を受けなくても全然かまわないとなります。または、妄想を言っているだけだとなります。

 

2 大学受験や知性だけが誇りだから、それには価値があると思い込みます。ビジネスの世界やコミュ力欠如は無視です。

 

3 大学受験を信奉してきた人は、「大学受験は重要性が薄いとか、大学受験制度が変わるという事実」に対して、不快な感情を引き起こすということです。そういう人は、「大学受験は重要性が薄いというのは間違いなのだ」や、「大学受験制度が変わっても失敗に終わるだけだ」という見方にしがみつきます。または、官僚、弁護士、学者、文系学問を信奉しているので、それらが否定されると不快な感情を引き起こします。

 

ちなみに、センター国語を主に批判しています。(早稲田の現代文や東大の現代文はまだそこまで研究していません。ですが、古文・漢文はコンテンツとしては文学部限定でいいと思います) 歴史系科目はコンテンツの重要性は薄いですが、暗記力などのノウハウ力は高まります。英語は民間試験にしたほうが良さそうです。理系は実用性が高い科目が多いでしょう。

 

世の中には茂木健一郎氏やホリエモンのように東大に入ったのに、自身を否定できる人さえいます。または、池田信夫氏のように文系学問をかなり極めたのに、それを否定できる人もいます。彼らは認知的不協和に陥っていないのです。

 

 

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これらは分かる人には分かるでしょうが、Koukih氏の例です。彼も数学やブログラミングの才能があったり、ビジネスの才能や、コミュ力があったら、ここまで偏屈な視野になっていなかったと思うのです。彼は、自身をかなり正当化しないともはや自我を保てないほど追い詰められていると言えます。

 

だって、ビジネスや数学やコミュ力などがあったら、たぶん、民間にも行けたでしょうし、官僚、公務員、弁護士、学者にしがみついていないはずです。また、彼は体力や運動神経もないことから、そういう系統の仕事も無理ですから、逃げ場がありません。

 

さらに、芸術系の才能もないですから、そちらへの逃げ場や発散もありません。

 

こうして、自分の強みである大学受験(早稲田のある学部に受かったのが最高潮)や、知性やIQ(ある程度、高いそうです。120ぐらい?)が高いことを誇りにし、頭が良いということだけにしがみついています。ビジネス、芸術、運動、コミュ力など他の要素は不都合なので、目を向けません。

 

正直、そこまで正当化しないともう自我が保てないんだろうなぁと思います。ま、今後も、正当化してください。あなたの自我は守られますので。私を悪者にでもしたらいいでしょう。ただし、私を悪者にすることで自我を守ることはできても、世間はあなたには厳しいですよ。世間は甘やかしてくれませんから。就職活動、仕事などでおそらく、分かることでしょう。

 

ちなみに、koukih氏の発言はスルーするので、書き込まないでください。koukih氏との論争はこれで終わりにしたいと私は考えていますが、あちらがどう対応するか?ですね。

 

最後に、私は何も正当化自体が全て悪いと言っているわけではありません。極端な話、1%の成功者や勝者以外は、敗者なわけですから、正当化しないと生きづらくなります。そうなのです。ほとんどの人が自分に折り合いをつけて正当化し、生きています。

 

ですが、「本当はNo.1になりたかったけれど、なれなかった。正当化しているかもだけど、そうしないと生きづらくなるから、仕方ないよね」と納得するのが自覚がある人です。じゃなくて最初から「NO.1になりたくなかったんだよね。別に、欲しくないし。名誉も金も異性も欲しくないし。だから、私の生き方でいいしね。そして、他人にもそれを勧める」という人がヤバいのです。

 

自覚があるかどうかです。本当に何も欲しくない人なら、自身に納得させる必要もないですし、そもそも競争に参加しません。東大を目指すと言っている時点で東大に入りたいわけです。だからこそ、自覚して、正当化してないかを考えるのが自己認知できている人です。

 

Koukih氏は、自己中でポジショントークばかりすると私が主張しましたが、つまり、自身を正当化ばかりしているのです。それは苦しい立場で追い込まれているから、正当化せざるを得ないと私は理解しました。ビジネス、芸術、コミュ力、運動などが優れていれば、そこまで学歴や知性にこだわらなくていいからです。

 

せめて、自覚だけは持って欲しい、じゃないと世間はあなたを哀れに思います。自覚さえできていない、つまり自分自身さえ正確に認知できていない人だと映るからです。ま、これも受け入れず、私を悪者にし、自己正当化してもいいですけどね。しかし、何度も言いますが、私を悪者にしても、世間はあなたを厳しく査定しますので。

 

ちなみに、彼にこんなことを今さら、指摘したくもなかったんですよね。「自分で気づけよ」と思っていました。プライドが高い人なので、この指摘は傷つくと思ったからです。ですが、もう誰かが指摘してあげないとダメだろうということで私が書くことにしました。

 

読者の皆さんが役立つ教訓としては「自分は認知的不協和に陥っているのではないか?」という認識と自覚に気をつけることと、「自身を正当化することも時には必要。だって、NO.1じゃない限り、それ以外は敗者なのだから。でも、自己正当化している自覚はある」という境地に至ることです。できる人なら、NO.1を目指して欲しいと思います。

 

とここで、Koukih氏の深層心理分析をやめても良かったのですが、ちょっと違和感があり、続きを書くことにします。認知的不協和による自己正当化の側面もあると思いますが、それ以上に彼は確信犯なのでは?とも感じるのです。

 

どういうことかというと、彼はTwitter上で「もう、いじめるのはよしてあげるか」と書いていたり、MARCHの2人と私のSKYPEでの会話でMARCH2人組が嘘を私について、からかっていて、1人は私が指摘したら、嘘だと白状したのですが、Koukih氏だけはずっと嘘をついていたのです。そして、笑っていたのです。つまり、からかって遊んでいたのです。

 

このようなことから、彼は単に性格がひんまがっている、悪いだけだと思います。本当に、大学受験の中身について真剣に議論したいなら、中身で詳細に議論しますし、そもそも私の立場論なんて持ち出さないからです。私に評価されず、相手にされなくて面白くないから「こいつを攻撃しよう」や「こいつをからかってやろう」という気なのだと思います。

 

私は中身論で大学受験や大学教育などを真剣に憂慮し、議論する姿勢なのに対して、彼は立場論を持ちだしたことから、そもそも中身に関しては真剣に議論するつもりはなく、認めてくれず、相手にしてくれない私を攻撃したいだけなのです。(性格が悪い人ということです)

 

ここまでの深層心理分析をしたら、どれかは当てはまっていると思います。認知的不協和による正当化や、確信犯によるものですね。

 

論争はこれでおしまいです。

 

以上です。