世の中は確率論

目次

  
  1. ボケとツッコミとクリエイターと後付け批判
  2. 学問と経営と戦国の世界では求められる精度が異なる
  3. 発信する情報に絶対はない
  4. それでも仮説を立てるべき

 

ボケとツッコミとクリエイターと後付け批判

  

「世の中は確率論」 2014年の記事に加筆修正しました。 ボケとツッコミなら、どちらが難しいでしょうか?答えはボケです。

 

新しいことを提案する方が、後で批判されるよりも、難しい局面にさらされるからですね。批判する側は後付けなのです。 後付けで批判する人は粗探しの名人でしょう。

 

対して、新しいモノを作り上げる人はクリエイターであり、イノベーターでしょう。

 

どちらが大変かと言われたら、後者です。批判、粗探しも大事な点ではありますが(完成度を高めるという意味で)、後者の人に比べたら、格段に価値が下がります。難易度も後者の方が上です。

 

 

学問と経営と戦国の世界では求められる精度が異なる

ところで、学問と経営のジャンルでは、成功や確実さを求める精度が異なります。学問の分野の精度80%だといいます(元知人がどこかの本で読んだ情報です)

 

経営は孫正義さんの名言によれば、7割です。「7割の成功率が予見できれば、事業はやるべきだ。5割では低すぎる。9割では高すぎる」と言っています。

 

経営の話ではないですが、戦国武将の武田信玄は「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす」と言っています。

 

統計にも精度はあるでしょう。確率論だと言えます。全ての人に当てはまる法則はないでしょう。

 

例外は必ずあるというのがこの世の中の法則です。自然科学では例外は極めて少ないですが、相対性理論でさえ、仮説にすぎないという人もいます。

 

発信する情報に絶対はない

要は、発信する情報に絶対はないのですね。学問(自然科学含む)、経営、戦争、情報発信にせよ、絶対正しいと言いきれることはないということです。(この主張も絶対ではないという意見はやめてくださいね。構造の矛盾になりますので。トートロジーとは違うのかな?) 

 

データ自体も確率に左右された人間の割合の比率です。主張の根拠のデータは統計がほとんどですが、それすら絶対ではありません。

 

ということは、主張で「~だ」と絶対断定するのはおかしくなります。ですが、論文では「~だと思う」という弱気な姿勢は使ってはいけないといいます。これも矛盾です。

 

断定できる主張もデータもこの世にはないのですから、主張するときは「~だと思う」でいいはずです。その方が、謙虚に見えると私は思っています。

 

もちろん、文章の機微やリズムや強弱を出すために、断定口調を挟んだりするのはありです。弱気な口調だけでは説得力が減りますからね。

 

あとは、主観の分野で議論することが私も含めて多いです(これは自戒を込めています)。

 

主観や価値観の世界に絶対の答えはありません。例えば、音楽や食事の好みで議論しても無駄でしょう。 つまり、世の中のことに絶対はなく、確率論なのでしょう。

それでも仮説を立てるべき

絶対に信じられるデータや理論や主張はそれほどありません。しかし、そんな状況下でも、ある程度の精度の仮説があれば信じてみるべきです。

 

タバコが肺がんになりやすいというデータは典型例です。そういうデータは全ての人に当てはまりませんが、起きる確率が高いならば、避ける行動をするのが賢いですよね。

 

私の主張も、世の中の大半の人が主張していることも絶対ではなく、確率的に精度がどれくらいか?という意味合いのものです。主観の世界ではその傾向は顕著ですが、一見、客観的に見える世界でも「例外」は必ずあり、絶対的な真実がありません。(自然科学は厳密な方ですが、従来の説も覆る可能性は残ります) 

 

そして、プログラマーなどの理系の人に多い傾向だと思うのですが、そういう人は何かを主張すると、完全な正確さを要求してくるケースが多いと思うのです。なぜかというと、プログラミングは少しでも記述を間違えたら、動かなくなる世界だからです。

 

その世界観を何かの言説にも当てはめてしまうのです。 しかし、経営の世界では特に顕著ですが、仮説や戦略はそこまで厳密なものは求められません。

 

極端な話、方向性が正しければ、あとは戦術で詰めて、軌道修正しながら実践していく世界です。

 

世の中で生きていくのにも、PDCAサイクルなどありますが、仮説は大体でOKであり、微修正していくサイクルを繰り返しますよね。

 

ブログでの言説も同じであり、仮説なのですから、最初から厳密で完全な理論など立てられるわけがありません。 仮説は精度が高ければ高いほど良いですが、6割ぐらいあって方向性が正しければ実用的には問題ないケースもあるはずです。

 

また、仮説を立ててから行動するのと、仮説を立てないで行動するのとでは実践の中での成果が出る確率も変わると思います。

 

プログラマーの方には申し訳ないのですが、あまりにも厳密なロジックや論理を、言説に求めても、世の中は複雑系なので、それを人間の言葉で説明し、または理解するのは難しいと思います。

 

そんな複雑系の世界でも、何とか仮説を立てて、成果への精度を上げるために、私たちは理論や仮説や主張をするのではないでしょうか?

 

そして、最初の話に戻しますが、理論や仮説や主張を先んじてやるのがクリエイター、ボケ担当であり、後付けで粗探し的に批判するのがツッコミ系の人です。

 

仮説を立てる人をそんなに粗探しで攻め立てて、精度100%を求める人達がいます。もちろん、物理的な製品はかなりの精度が求められます。故障したら、人災につながるかもしれませんからね。

 

しかし、学問、経営、戦国の世界などではそこまでの精度は求められませんし、そもそも学問、経営、戦国で精度100%の人たちがいたら、百戦百勝であり無敵状態ですが、そんな人はいないでしょう。

 

そういう考えを理解したうえで、世の中を見ていきたいものです。