頭がよくなる手段とは?

目次

  
  1. 動画の要約
  2. 論文の効用
  3. 私の事例
  4. 権威や肩書きの話
  5. 頭が良い人の話

 

動画の要約

  

頭がよくなる手段とは何か?について論じたいと思います。

 

まず、以下の動画の一部を簡単に要約します。

 


この動画でホリエモンは、中国・インドの学生はめちゃくちゃ頭がいいと言っており、どうして頭が良くなったか?というと、自分の頭で考える訓練をしており、それの手段として、論文を書いては叩かれるのを繰り返してきたからだと言います。

 

それに対して、日本の学生は正解主義で、試験ばかりだと言います。

 

 

論文の効用

私はこの視点は大事だと思っており、そのために大学入試のシステムとして、以下の「日本論文プラットフォーム」を提唱しました。

 

 

正解を当てるペーパー試験というのは、知識の確認のために使われるべきだと思います。ITの資格試験は基本的にそのようになっていると思います。

 

ペーパー試験で思考力まで見ようという視点は難しいのではないか?と。理系は分かりませんが、文系では思考力、思考過程を見るには論文、小論文が一番です。(または、長時間の面接です)

 

また、論文の利点は、仮説を立てる訓練になることです。仮説をとりあえず立てて、それを論拠や根拠やデータなどで補強し、後で仮説が実証されます。

 

その訓練がなされるからこそ、頭がが良くなると思うのです。私は、とりあえず、仮説を立てて、自分の主張をする訓練、つまり、論文などをたくさん書かせた方がいいと思います。

 

私の事例

私の事例で言えば、仮説はエシュロンがある説」ASKAさんが薬物をやってない説」や小さな例ですが、「知り合いや元知り合いが私のブログを閲覧しに来ている事実」を暴きました。

 

全て、仮説を立てて、それらが実証されました。まだ実証されていない仮説も私は立てています。「日本論文プラットフォーム」はその例です。私の本「今の日本の教育改革のネタ元本」もその例に入るでしょう。

 

全ては仮説であり、後で実証されたら、正しさが証明されます。その訓練をしている人と、してない人では主張が当たる精度が変わるのは当然ですよね? 訓練により、何事も精度は高まりますから。

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権威や肩書きの話

加えて、ここから話が変わりますが、権威や肩書で、議論をするのは愚かだと感じます。

 

議論をするからには、中身が重要です。中身だけで議論をするからこそ、「誰が言ったか」のバイアスがかからず、仮説の精度が上がるのです。

 

私は以下の記事でも述べたように、レッドチームが必要だと考えています。レッドチームを機能させるには、肩書や「誰が言ったか」のバイアスを取り除かなければなりません。じゃないと、萎縮して、自由闊達に議論できません。

 

 

「結果主義者」は、「結果をだしていない人」の意見を聞かない傾向にあります。ですが、「本当にできる人」ほど、中身で判断しようとするので、「誰が言ったか」のバイアスを取り除き、中身の議論をつめて、精度を高くし、成功へ導くと考えます。

 

以下の記事でも述べましたが、人間の9割は権威主義者です。残念な事実です。それが、仮説の精度を下げていることも分からないのですから。(レッドチームを機能させないからですね)

 

 

頭が良い人の話

最後に、私は以下の記事で、頭が良い人の要素を述べました。

 

頭が良い人とは、表現力(アウトプット)であり、それらは文章、話すこと、プログラミング、数式で良いと書いています。また、推論能力がある、問題解決能力がある、意思決定力があるも付け加えています。

 

ここにアウトカム(結果」の視点が抜けていると指摘した人がいましたが、私が結果を入れなかったのは以下の理由からです。

 

まず、結果とは、知的な分野での結果を出した人が頭が良いという前提条件が必須でしょう。じゃないと、筋肉だらけの陸上のボルト選手まで頭が良いということになってしまいます。

 

また、その知的な分野でも、たくさんの分野があり、経営者まで入れるとすると、経営者でも体育会系のコミュ力重視派の経営者もいるわけですから、混乱します。

 

どの知的分野か?を定めるのは意外と難しいのです。

 

さらに、知的な分野で結果を出している人が皆、頭がいいのだと仮にしても、その結果が永続的に続く保証はありませんし(つまり、一発屋も頭がいいに含めるのかという話になる)、まだ結果を出していないけれど、近い将来、結果を出す頭のいい人もいることでしょう。

 

つまり、時間軸の視点を考慮に入れるのが難しいのです。

 

このように、知的な分野で結果を出した人=頭がいい人という定義だと、複雑になりすぎですし、混乱します。

 

果てには、東大生は結果を出したのだから、頭がいい人となりますが、東大生でも落ちぶれる人がいるのです。その東大生は頭がいいのでしょうか? ペーパー試験の学力面限定で頭が良かったと言えるだけでしょう。

 

「結果面からしか見ない人」はこのようなことまで、想定して指摘しているのでしょうか?

 

私は、結果を出してない状態まで想定して、頭がいい人の要素を考えました。これなら、分析しやすくなります。

 

頭がいい人の要素は、他にもあるかもしれませんが、私はとりあえず、上記の要素を備えている人を頭がいい人としました。

 

以上です。