上級者のための小論文

目次

  
  1. 小論文の構成
  2. 実社会で役立つ小論文
  3. 現代文と小論文の違い
  4. リニアの例
  5. 有力な反論コメント
  6. 大人の小論文とデータ解析の話

 

小論文の構成

  

「上級者のための小論文」2013年ぐらいに書いた有料本かなぁ。無料で公開します。

 

小論文の構成方法は以下の通りである。

問題提起原因分析解決策だ。

 

小論文を書くことで身につく力は論理的思考力。論理的思考力とは因果関係を追求する思考力でもある。物事には何かしらの原因があるとする考え方。原因→結果の因果関係を明らかにする。

 

原因を突き止める癖をつけることで、解決策につなげる思考法でもある。問題が起きた時、その問題を解決するためには、原因を明らかにすることが重要だ。原因が明らかになれば、それに対処するための提案の候補を挙げて、その中から優先順位の高い順か、費用対効果の良い順に、解決策を実行すればいい。

 

まずは、原因追求が先だ。原因も分からずに、解決策を考えるのは難しいのだ。そのために、小論文では、課題が与えられ、それに対する問題提起をまずする。問題提起をした後に、その問題の原因を分析したり、背景なども分析する。その上で、その問題を改善したり、解決するための案を提案する。

 

ただし、小論文では、原因を分析できるだけでも、そこそこ評価されるだろう。市販の経済本でさえ、現状分析までは素晴らしいが、解決策はおそまつなものが多いからだ。

 

プロでも解決策を考えるのは難しいのに、高校生の諸君が解決策まで考え出すのは至難の業だ。解決策は凡庸なものでも仕方あるまい。なるべく斬新な解決策で実効性が高い案を生み出せたなら、採点者を唸らせることができ、高得点がもらえる。しかし、そこまでの力量を高校生に望むのは酷だろう。小論文は、プロセスもしっかり見ている。因果関係を暴くあなたの論理的思考力を見ている。

 

 

実社会で役立つ小論文

解決策については、創造力や発想力の領域である。大学受験の試験は、課題が与えられていた。試験の答えは決まっていた。しかし、実社会では、課題さえ決まっていない。問題提起を自分でしろということだ。小論文では、テーマが与えられ、問題提起は自由にできる設問もある。そういう意味では、実社会において、一番役立つ科目が小論文である。

 

課題が決まっていれば、その課題を解決するための手法は、大学受験である程度、鍛えられたはずだ。しかし、大学受験の問題の課題解決と、実社会の課題解決では、性質が異なる。大学受験では、解けない問題なら、飛ばすことが可能であり、解ける問題で点を稼ぐ判断力と情報処理能力が問われる。

 

対して、実社会の課題解決は、解けるまで考え続ける力が問われるのだ。解けないからといって、諦めてはいけない場面も多い。学者や研究者なら、課題設定は、自分の生涯のテーマである。永遠に解けそうもない課題を研究テーマに選んだら、一生を棒に振るかもしれない。しかし、課題をとことん追求し、考え続けるのが、学者や研究者の仕事だ。

 

このように、小論文は、実社会で活かせる科目として、稀有な存在なのだ。問題提起により、課題設定能力を鍛え、原因追求により、因果関係を軸とした論理的思考力を鍛えられる。さらに、プロでも至難な斬新な解決策を発揮できる場が小論文には与えられるわけだから、やりがいはかなりある。

 

現代文と小論文の違い

現代文までは、著者の意図を理解できているか?だけが問われていた。著者の意図から外れた場合、点をもらえない。しかし、文章というものは解釈は人それぞれな場合が多い。著者の意図を超える解釈だって可能なはずだ。しかし、著者の意図通りの解釈をしないと点がもらえない。現代文とは、そういう意味で、服従の科目であり、著者の意図に逆らうことは許されない。

 

しかし、小論文では、自分の自由な解釈を表現することが可能だ。その解釈にきちんとした説得力のある根拠があれば、点がもらえる。著者を超える解釈をした者でも、点がもらえる。

 

そういう意味で小論文は、クリエイターや創造者や革命家のための科目である。出題者に逆らうことも可能なのだ。ただし、出題者や採点者は高校生諸君より、生きてきた歳月が違うわけだから、経験量に圧倒的な差がある。採点者を唸らせる根拠を持った主張をするのはそう簡単にはできない。だが、それでも採点者を唸らせたいなら、非常にやりがいのある科目と言えよう。

 

現代文が、実社会で活きるものとして、法律が挙げられる。法律は解釈がそこまで広がらない。法律とはルールであり、解釈が人によって多様でばらばらすぎると、ルールとして機能しないのだ。だから、法律を学ぶ者は、現代文の著者の意図を理解し、従う訓練は必要かもしれない。経営学や経済学は、比較的、解釈の余地を広げることが可能なので、小論文が適していると言える。

リニアの例

高度な議論の例として、リニアを挙げる。

 

「リニアは確かに速い。だが、優位性はそれだけだ。事業の失敗は目に見えている」  政策評価、公共計画の専門家として、国内外の大規模プロジェクトの成否を検証してきた経験に照らし、そう断言した。

 

■哲学感じられない

 引き合いに出すのが超音速旅客機コンコルドのたどった末路だ。音速の2倍を誇り、1976年に実用化。だが、燃費が悪く、飛行距離が短い上に料金は4倍、ひどい騒音も快適な空の旅とは程遠かった。2000年、パリ郊外の空港で墜落事故を起こし、終焉を迎えた。

 

 「鉄道などの旅客事業に求められるのは利用者に喜ばれるか否か。さらに投資が回収可能な採算に乗るかどうか。利用者、事業者双方に望ましいプロジェクトならば成功する」

 

 リニアはどうか。「スローライフという言葉があるように、遅い方がいいという人もいれば、速ければいいという人もいる。両方、正しい。ただ、リニアの売りは速さだけだ。ルートの8割がトンネルで、車窓から富士山の風景も楽しめない。利用者のニーズを理解し、ほかの価値よりも高速性が求められているのだから、リニアを選択したという哲学が感じられない」

 

 リニア導入ありき。そこに破綻の芽は生まれる。甘い需要見込みだ。

 

 JR東海の計画によれば、開業により需要は1・5倍に増え、リニアと並走する東海道新幹線と分け合うとしている。つまり両者は競合する。たとえ需要が増えても、客を奪い合ってはコスト回収は思うように進まない、とみる。

 

 さらに品川-名古屋間の開業は14年後、大阪までの全面開業は32年も先だ。「日本の人口は減っていく。企業も海外進出する。急いで大阪や名古屋に行くビジネスマンが増えるとどうして思えるのか」

 

■興味持つ国はない

 山梨リニア実験場で新型車両に試乗した菅義偉官房長官は言った。「先進的で挑戦的な技術。日本のインフラ輸出の大きな武器になる」。安倍晋三首相も2月のオバマ米大統領との会談でリニア技術を売り込んだ。

 

 橋山さんは首をかしげる。「本当に素晴らしい技術ならとっくに実用化されている。もうどの国も興味を持っていない」

 

 原理が米国学会で発表されたのは60年代。飛びついたのはドイツと日本だけだった。

 

 ドイツでは94年にハンブルク-ベルリン間の建設が決まったが、過大な需要の見通しやコスト高などを理由に中止された。

 

 残ったのは日本だけ。「使いにくい技術。つまり真っすぐにしか行かない。だから地下を通すしかなかった」

 

 ドイツでは特別法をつくり、事業者に確実性のある需要予想を求めた。在来線との乗り入れが難しいことも判断材料になった。連邦議会による政治決断があった。

 

 ところが日本の国会では問題にならなかった。「JR東海が自分たちの事業としてやると言っているから、口出ししない。曖昧な計画のままに認められてきている」

 

 重なる懸念がある。鉄道事業は電気やガス、通信と同じ公益事業だ。「失敗したからといって自業自得では終わらない。国が援助することになる。つまり、赤字の穴埋めに税金がつぎ込まれる」。経営破綻した日本航空の再建問題、福島第1原発事故後の東京電力への公金投入は記憶に新しい。

 

■空疎の文字浮かぶ

 JR東海によってルートが発表され、リニアは実現に向けまた一歩前進した。「だが、まだ着工はしてない」

 

 今後の選択として示すのは、(1)計画の取り下げ(2)変更(3)凍結-の三つ。変更する場合として提案するのが従来の新幹線の活用だ。「需要があるわけではないので大成功するとは思えないが、リスクは大きく減る。建設コストが半分以下になるし、技術的にも信頼できる。大もうけはしないが、利益を出すところまでは可能だと思う」

 

 しかし、夢よもう一度とばかりに、リニアに寄せられる期待はどうだろう。

 

 経団連米倉弘昌会長は20年の東京五輪開催に合わせた開業の希望を口にし、「せめて名古屋まででも乗れればと思う」。思えば、新幹線は1964年、東京五輪の年に走りだした。

 

 いつの世も、人は速さに絶えざる夢を見、自らの飛躍を重ねて胸を躍らせるものなのか。「いや、今度は違う。多くは『速くていいんじゃないかな』といった程度の受け止め方ではないか」。空疎の2文字が浮かぶ。時代は違うのだ。「夢を見るのもいいが、覚めてしまえば夢は終わる」。かつてのような経済成長はもはや望めない。

 

以上、ここまで。

 

有力な反論コメント

この意見に対する有力な反論は以下のコメント。

 

世界と競争するビジネスはスピードが命。いくらインターネットが発達しても、やはりビジネスパーソンどうしが直接会う商談や会議は欠かせない。東京と名古屋、大阪、日本の3つの中核都市が1時間以内で結ばれれば、時間的にはそれこそ同じ都市にいるかのようにビジネスができるだろう。

 

それは、日本の、世界に対する大きな競争力になると思う。料金も東京から名古屋だとのぞみプラス700円程度。コンコルドの4倍の値段とは比較にならない実用性の高い値段だと思う。

 

速さだけが取り柄という著者の意見を逆手にとった反論だ。速さこそが重要なのだと。

 

しかし、さらなる反論も寄せられている。

 

リニアって、80万kw大型原発の半分、常時必要な電力が必要と試算されているそう。東京オリンピックまでに開通させるなら、電力の行く末を明確にしなければなりませんな。しかし東電は破綻状態の中で、この最高品質の電気を、このまま7年先の真夏にキープできるとは思えないのです。

 

リニアの電力の欠点を突いている。

 

大人の小論文とデータ解析の話

これが大人の小論文、もしくは議論だ。こういう説得力のあるデータと論理と根拠があってこその議論が、解決策や実行するに値する案か?の判断の分かれ目になる。

 

感情論で、リニアは好きとか嫌いという意見は子供だ。リニアは景観がないというのも反論になるが、景観より、コスト面や採算が合うかや、電力や利便性の方が優先度は上というのが説得力のある意見だろう。他には、電磁波は大丈夫なのか?という安全面も考えられる。

 

どうだろうか?大人の議論とはレベルが高い応酬なのだ。こういう議論に加わるために、小論文で基礎的な思考力を学ぶわけだ。

 

しかし、議論における論理的思考力や構成力も欠点がある。元となるデータ解析は、能力のある者にしかできない。学者や官僚などだ。民主党脱官僚を企てたことがあった。官僚は天下りをしていたり、官僚バッシングが叫ばれていた風潮なので、官僚に頼らない政治をしようとしたわけだ。

 

だが、議論の根拠となるデータ解析は官僚ぐらいしかできない芸当だったのだ。政治家には、そこまでの細かく地道な仕事は能力的にも時間的にも無理だった。というわけで、官僚を上手く操ることができなくて、政治の仕事にも支障を来したと思われる。

 

議論の根拠となるデータは、慎重な取り扱いが望まれる。データが間違っていたら、議論の方向性も誤ってしまうからだ。改ざんなどはもってのほかだ。データ解析は、複数の人によって検証される必要がある。正確なデータあってこその原因分析や解決策提案ができる。

 

ところで、小論文の因果関係を巡る論理的思考力は、実は、今後、必要性が薄まる可能性がある。それは、統計学の登場によってだ。統計学は、因果関係がなくても、相関関係があれば、意味のあるデータ解析になりうるからだ。そもそも、複雑な現象の場合、因果関係を突き止めるのは至難の業だ。その場合、相関関係があれば意味があるデータや解決策である。複雑な現象での解決策を突き止めるには、統計学が向いている。しかし、単純な問題の場合は、まだまだ因果関係を突き止める論理的思考力は問われよう。そのために、小論文で、思考力を鍛えよう。

 

以上です。