「現代文、小論文という試験の危険性について」

目次

  
    1. 現代文の試験の欠陥とは?
    2. 現代文の試験の目的と小論文・論文の特性について
    3. 重要な話
    4. 小論文の危険性と改善案
    5. 「「「響 小説家になる方法」という漫画が私の心にまったく響かない理由」の記事の考察と結論

 

現代文の試験の欠陥とは?

        

「現代文、小論文という試験の危険性について」

 

現代文(小説も含む)で言えば、わざと難解な文章を選び、しかも全文ではなく一部を切り取った文章であり、さらに、巧妙な選択肢で平均点を下げる調整試験と言うことができます。日本語であれば、普通は分かりやすく書けばほとんどの人は理解できるわけであり、わざわざ難解に書く理由は普通はないのですが、落とす試験の目的上、そうなっています。

 

難解な文章を読み解くスキルは限られるでしょう。そして、難解な文章は高尚なわかりにくい表現を使って難解に見せているだけであり、大抵においては言っていることは大したことないことが多いと感じます。(もちろん、哲学やアインシュタイン相対性理論など元々難しいものもあります。それらはいくら分かりやすく書いても、難しくなってしまいます) 

 

マークシート方式の現代文の試験の弱点は「とりあえずの答えを出して後は深く考えない癖」「選択肢以外の可能性を考えない癖」など、現代社会の答えがない世界を生き抜く上で、不利な性癖を育てている可能性があることですね。

 

以上が、現代文の試験の欠陥です。

 

現代文の試験の目的と小論文・論文の特性について

次に、現代文の試験の目的は「著者の主張を正確に理解できているか、または情報処理が速く、理解できているか」です。これが現代文の試験の特徴だとすれば、試験の出題されている著者の解釈以上の解釈をしてはいけないことになります。著者の解釈以上の解釈をしたら、正確に理解できていないとされ、点数が上がりません。

 

この欠陥を補おうとしたのが小論文です。小論文は要約で著者の主張を正確に理解できているか?を把握できるうえに、著者の解釈以上の解釈をしているのか?を文章力や論理性も見つつ、受験生の発信力(アウトプット)まで見れるのです。

 

これで、小論文に分があると思いましたが、そうは簡単にはいきません。

 

その理由を述べる前に、論文(とアウトプットの成果物)の価値とは私は「新規性」「重要度」だと思っています。「新規性」とは独創的であり、従来誰も発信していなかった主張を述べることです。

 

「重要度」とは、新規性は少なくても、人生や世の中において役立つ、実用性が高い主張は価値があるという視点です。そもそも、本質論を言えば、本当に重要なことなど、過去の偉人がほとんど言っています。あとは、組み合わせ方法に自由度が残されているだけであり、完全なる新規性は難しいのです。

 

ビジネス書でも、「知っている」と大半の人が思う内容は多いのですが、「それを愚直に活用しているか」は別問題です。重要で役立つことは新規性が薄れがちですが、そういう主張は役立つのです。

 

さて、論文(とアウトプットの成果物)の価値は「新規性」「重要度」と書きましたが、今は「新規性」に重きを置かれているようです。ビジネス書の場合ですが、ビジネスの骨格となる理論自体はもはや古典的な理論でほぼカバーできるし、実用性もあるのですが、経営学者やビジネス書著者はわざわざ新規性を求めて、読者の欲求を満たそうとします。

 

 

重要な話

さらに、ここで重要なことを述べます。人の価値観はそれぞれであり、自分が興味ないと思う分野は軽視するか、「価値」を見出さないのが人間です。私の文章でいえばビジネスや自己啓発に興味がない人はつまらない、陳腐なものに見えます。特に、教養派の人は私の文章など興味がかなり薄れ、価値を見出さないでしょう。

 

しかし、ある人の興味と価値と、「重要度」は違います。私の本は「新規性」もなるべく追求しようとしてますが、「重要度」には大変、価値があると思っています。さらに言えば、「情報の整理」(キュレーション)という価値をほとんどの人が軽視しているように思えてなりません。

 

他の人の意見の受け売りだや、独自の主張がないと私の文章を読んでいる人は思うかもしれませんが、膨大な情報を読んで選んで、体系化し、整理するということの大変さと価値が分かっていないように思うのです。

 

ビジネス書でいえば、「経営戦略全史」という本は著者の独自の主張は一部ですが、大量の情報を整理し、体系化したことに非常に価値がありました。体系化され、整理された情報は頭の中が整理され、自分のアウトプットの参考になりやすいですし、どこに独自の主張をする盲点があるかなどを見つけやすくなります

 

私の本「今の日本の教育改革のネタ元本」はビジネス書でいえば「経営戦略全史」に近い位置づけです。つまり、情報の整理、体系化路線人生の全体図、俯瞰図です。この価値もわからず、独自の主張がない(一部は私も独自の主張を入れていますよ)と一刀両断する人がいます。

小論文の危険性と改善案

さて、ここで話を「小論文」に戻しますが、「小論文」の危険性は採点者の解釈以上の主張をすると評価されないことです。いわば、採点者の恣意性に左右されるのです。

 

例えば、大学院生の中には「指導教官の主張に沿わないことを主張すると、減点されるか、評価されないから、指導教官の言うことに合わせよう」とか言う人もいます。つまり、価値が分からない指導教官や採点者に小論文や論文(やアウトプットの成果物)を評価させると、その人は評価されないかもしれないのです。

 

ここに、非常に小論文という試験の危険性を感じます。現代文もまったくダメですが(特にマーク式)、小論文でさえ、このように欠陥があります。

 

現代文、小論文という試験はどのようなやり方が理想なのか?難しいと言えます。そもそも、試験という性質と合っていないのでは?とも感じます。

 

小論文や論文の場合、評価基準をある程度、網羅して、たくさんの人数に見せることが大事です。1人の採点者に任せたら、採点者が無能な場合、本来の実力者がはじかれることになります。その画期的な現代文、小論文の画期的な改善案が、「日本論文プラットフォーム」という提案であり、私の本に書かれています。

 

「「「響 小説家になる方法」という漫画が私の心にまったく響かない理由」の記事の考察と結論

最後に、私の「「「響 小説家になる方法」という漫画が私の心にまったく響かない理由」の記事で、1万時間の法則が当たり前の意見だと言う人がいるとしたら、「響」という天才少女のリアリティという側面に目を向けて、それが非現実だという根拠に「1万時間」を結びつけた「組み合わせ」の主張まで、当たり前だと主張しているのかな?と疑問に思います。

 

「響」という少女の現実の作品が存在しないのに、天才というテーマだけで読者に訴えかけているという指摘はAmazonレビューにもありましたが、1万時間を組み合わせた人は少数だと思うのですが。この組み合わせの価値が分からない人がいるのです。

 

または、漫画なんだから、フィクションであり、非現実で当たり前、リアリティ必要なしというのなら、私のリアリティがないから響かないという意見は無視していいでしょう。その人は、その漫画でリアリティの裏付けがないけど、娯楽として楽しんでいるわけであり、別にその価値観を否定しません。

 

「「響 小説家になる方法」という漫画が私の心にまったく響かない理由」の記事は以下です。

 

このように、人の価値観はそれぞれであり、人が「面白いと思うツボ」は別物で、価値が分からない人は「価値観がそもそも違う」のですから、意見を戦わせても無駄です。「価値が分かる」読者を集めるのが一番でしょうね。

 

ただ、現代文や小論文は国家の試験であり、それでエリートがどうか選別されるわけであり、私の主張する「現代文、小論文の危険性」をよく熟知したうえで、制度設計と試験を実施しないといけないということです。

 

以上です。