「人間なんて生き物は、所詮、大したものではない」

目次

  
  1. 人間が大した生き物じゃない理由
  2. 人間が大した生き物じゃない理由の続き
  3. 大した人間じゃないと言われないためのアドバイス
  4. 大した生き物じゃないを覆そうとしている人たち

 

人間が大した生き物じゃない理由

  

「人間なんて生き物は、所詮、大したものではない」

 

人間なんて生き物は、所詮、大したものではないという主張をしたいと思います。順々に論じていきます。

 

まず、人間は基本的に自己中心型、利己的です。極端に言えば「自分さえ良ければいい」という自分中心が本質です。社会で生きていくうちに他者のことも考えられるようになりますが、本質は「利己的」です。(社会に出ても自分さえ良ければいいという人はけっこういます)

 

そういう自己中心的な人はポジショントークをよくします。自分の経歴、生育歴、能力などを正当化したいのです。とにかく、「自分が上なんだ、自分が主人公なんだ」という人もそれなりにいます。しかし、他者を立てる、他者を応援する人もいます。そういう人は自分の人生をどこかで諦めた人か、引退した人でしょう。または、マネジメントをする立場になったので、他者を育てるのです。

 

さて、自分が中心ということは例えば、性格診断で「自分は凄いタイプの性格」だと診断結果が出たら、自分のことは誇らしげに語りますが、他者が「自分もけっこう凄いタイプの性格」の結果が出たと言っても、それはあまり目にかけません。他者が凄いタイプの性格だとはそう簡単に認めたくないからです。

 

自分中心の人は「自分だけには良い結果が来る。他者には来ない」と思っています。30歳を越えた客観的には魅力が劣る女性が「私には白馬の王子様が来る」と信じているようなものです。

 

こういう自分中心の思考は世の中を歪めて解釈しているので、客観的に冷静に自分を見つめなおした方がいいです。客観的に見ても、自分は凄い能力があると思えるのなら、それは本物でしょう。

 

私の事例で言えば、ビジネス書を約7000冊、良書中心に多読してきましたが、相場的に、自分の本は質が高いと自負しています。これはビジネス書の相場を知っており、相場観から、客観的に自分の本の質を判断しています。こういう相場観は大事です。

 

まず、世の中に出回っている芸術なり、本なりをよく吟味して、相場観を養うべきです。そして、その相場で上位に入る作品を作るべきなのです。相場観による自己評価はかなり当てになるでしょう。それをしないで、自分は上位にいると勘違いしたら、自己評価を誤って解釈しているのでマズいのです。

 

ただ、私は自分の文章、文体については自己評価がイマイチできません悩みでもあります。以下の記事に書いてあります。

 

 

または、自分のことは「状況によってなされた行動」だと解釈し、他者のことは「内面によってなされたこと」と解釈します。自分の評価と他者への評価が異なるのです。「自分の行動の過ちは状況が悪かった、環境、時代が悪かった」と言い、「他者にはあなたの性格や行動を反省せよ」と言うのです。

 

 

人間が大した生き物じゃない理由の続き

話しを戻します。人間はほとんどの人が自己中心的であり、自分中心なので、相場観も養われていないし、客観的に自分の評価を下していません。根拠は自分が平均より上だという人がほとんどを占めることから言えます。ほとんどの人が「自分は平均より上」という解釈だと、平均値に収まりません。つまり、大多数が勘違いしているのです。

 

客観的に判断するというと、「現実を見ろ」と説教されているみたいで、「嫌だな」と思うでしょうが、その現実を直視することから始めないと進歩がありません。自己イメージを高めることは「成功、勝者への道」ですが、ここには危険性があります。

 

それは、自己イメージがスキル構築を伴わずに高まると、過信、慢心につながる点ですつまり、客観的な実力より、自分の自己イメージの方が勝るのです。もちろん、自己イメージは低いとやる気になりませんから、自己イメージを高めることは重要です。ですが、過信、慢心せず、きちんとスキルを着実に身につけ続けてこその自己イメージの高さが前提です。

 

実際、鬱病の人は、「自分は平均より上」だとは思わないで、客観的な自己評価をしているそうです。つまり、健全な人は「自分は平均より上」だと思えるからこそ、自己イメージを保てており、これが鬱病並みに「客観的な評価を自分に下す」と病気になるのです。

 

このことからも、人間とは自分の評価さえも、客観的に正確には下せないのです。しかも、大多数に当てはまる傾向です。こう考えると、「人間なんて生き物は所詮大したものではない」と私は思ってしまいます。自分の評価さえ正確に下せず、さらに他人には自分より下の評価を下す性質ですから。私も少なからず、そういう傾向は人よりは少ないとはいえ、ありますから自分も含めて人間なんて大した生き物じゃないと思います。(客観的に自己評価を下そうと努力はしています)

 

大した人間じゃないと言われないためのアドバイス

私の文章を読んでいる方には自分の実力を客観的に評価して、そこを出発点に地道に努力して欲しいのです。そして、他者は「大した評価能力を持っていない」ということを頭に入れて欲しいのです。他者は「自分の能力は人より上だ」と思いがちであり、さらにポジショントークをし、あなたを下に見てきます。

 

ここで、客観的に見て実力がきちんとある人のアドバイスは聞いておいた方がいいとアドバイスします。そういう人は自己評価も他者評価も的確だと思うからです。しかし、大抵の人は「評価能力がない人」ですから、そういう人の意見をまともに聞いても仕方ないのです。

 

例えば、評価能力がない人から、いくら悪口を言われようが、その人の評価自体が誤っている可能性が高いのですから、まともに聞いたら、あなたにブレが出てきてしまいます。つまり、きちんとした実力者以外のアドバイスは聞かない方がいいのです。

 

もちろん、表面上は聞いたフリはしておくのも処世術であります。(反抗し過ぎると、人間関係がおかしくなるので。とはいえ、自由闊達に意見を言える職場の方がいいと思います)

 

または、自分が全ての面で他者より上回っている完璧な人はいませんから、他者が自分より勝っている専門分野については聞いてもいいでしょう。他者の専門分野をそれぞれから学べば、あなたは最強になります

 

本当は総合的にはあなたの方が上になりますが(きちんと他者の専門分野を吸収したら)、自分より上回っている専門分野の人から吸収すれば、他者のいいとこどりができるわけですから、実力が格段に上がるのです。

 

これが、自分より格下だからと「自分より専門分野では上回っている人」の意見を聞かなければ損です。つまり、人には強み・弱みがあり、弱みの分野については意見をスルーし、強みについてはきちんと聞けば、いいとこどりができるのです。

 

そのためには、ある程度の自分の判断軸を作らなければなりません。「何が正しいのか」初心者のうちは分からないからです。相手の専門分野が正確なのか、または自分より上なのか、きちんと判断するにはある程度の勉強や知識が必要です。

 

もし、膨大な情報に支えられた判断軸がないと、やみくもに権威に頼る人間になります。「誰が言っているのか」だけに意識がいき、内容で判断しなくなるのです。そうはならないためにも、私の上達法を取り入れ、自分の判断軸を作り、他者の「評価能力がない人」に極端に振り回されないで生きて欲しいと願います。(宣伝ばかりですが(笑) 、私の本「今の日本の教育改革のネタ元本」は、判断軸を作るのにショートカットできます)

大した生き物じゃないを覆そうとしている人たち

 

タイトルで「人間なんて生き物は所詮、大したものではない」と書きましたが、この自己評価と他者評価の欠陥を真剣に正そうとしている人たちがいることも付け加えておきます。それは、航空業界が典型例でしょう。彼らは失敗から学びます

 

ほとんどの人は失敗をしたら、隠すか、無視するのに対し、航空業界は人の命、安全がかかっているので、失敗から学び改善するフィードバックシステムが整えられているのです。そういう人や業異こそ、称賛されるべきだと思います。

 

医療業界は、昨今まで(アメリカの事例ですが)、隠蔽体制が顕著でした。警察もそうです。しかし、失敗した場合、隠さないでオープンにし、共有しないと改善しません。人間の愚かさ(自己評価や他者評価の欠如や失敗から学ばない)を改善するのは大事なのです。

 

さて、人間は、ベイズ統計学の理論のように日々、自分の能力が平均より上か下かなどの確率をアップデートする生き物です。しかし、大半のアップデートの情報は自信過剰に傾きます。

 

しかし、自信過剰なのが良いときもあります。根拠のない自信がある人は「自身がそう本当に思い込んでいる」ので、時たま、騙される人が出るほどです。恋愛にせよ、戦いにせよ、自信がある人の脅しなどに屈してしまうのです。

 

また、楽観主義の方が行動を促しますし、行動は生存に有利に働きますので、やはり自信過剰はこの場合、良い方向に働きます。上記にも書きましたが、鬱病の人は自己評価は健全ですが、病気になったら、困ります。

 

自信過剰にも良い点はありますが、反省や失敗から学んで、自己評価と他者評価をきちんと判断できるようにしたいものです。

 

「人間なんて所詮、大したものではない」というタイトルが覆るような生き方を目指す人が増えればと思います。

 

 

参考・引用文献

「失敗の科学」