才能とはいったい何なのか?3 (暗示による劇的な効果)

目次

  1. 才能についてのおさらい
  2. 私の事例からの考察
  3. 努力も才能 

才能についてのおさらい

私は才能とはいったい何なのか?の以下の2つの記事で、こう書きました。

 

才能とは分野別(大学受験やスポーツなど多数)において、成功(一発屋ではなく持続的成功と定義)するために、遺伝5割(「上達の速さとセンスの良さ」が1割、猛烈に努力ができるが4割環境4割×運1割の要素が求められると書きました。

 

そして、猛烈に努力ができるとは情熱(好きであり、のめり込める素質がある)があり、「苦痛度が低い」からこそ、やり遂げられると書きました。

 

 

 

  

私の事例からの考察

この記事を書いた後に、私の事例を考えてみると、若干、説明不足な点があると思いました。以下、説明します。

 

それは私は文章を書くことや、企画案を出すことは好きであり、勝手に創造できてしまうのですが、発想のためのインプット作業(文章を読む)は苦痛度がそれなりにあるという事実です。

 

まぁ、他人と比べたたら、読書の苦痛度が低いからこそ、ここまでビジネス書を約7000冊も読んできたのでしょうが、その苦痛度が低いがもしかしたら「暗示のせい」という可能性があります

 

または、限界的練習により、苦痛度を下げてきたとも言えます。

 

詳しく説明します。何事も初心者のうちは苦痛度、負荷が高いです。私も、最初のうちは読書の苦痛度は高かったと思います。しかし、自身に暗示をかけ、「読めるのだ」と思い込み、強引に読み続けてきた結果、語彙力や背景知識が増えまくり、本を読む際に苦痛度が下がったのだと思われます。

そうなのです。大量の強引な訓練により、苦痛度を下げてきた面があるのです。それは暗示もありますし、訓練により、語彙力や背景知識が増え、「すでに知っていることが増えた」ので、そこは負荷をかけずに読めるので、読書が比較的、楽になったという結果です。

 

努力も才能

要は、何事も「慣れ」であり、努力(苦痛度が高い時でも諦めず、続ける力)をし続け、その結果、苦痛度が減り、さらに「情熱」が加わり、それが才能の遺伝の努力と言う部分4割につながるのでは?という話です。

 

前に向いてない仕事の話を書きましたが、「苦痛度が高い」といっても、最初のうちは大半の人はそうなので、諦めずに続けていき、苦痛度が減ってきて、努力が続くようになったら、他人から見たら猛烈に努力しているように見えるレベルに到達するかもしれません

 

しかし、数学や物理学や現代文、仕事でも将棋やスポーツや芸術系は苦痛度が減ることや情熱があることで、猛烈に努力ができたとしても、高い到達点(天才レベル)まで行き着くかは不透明です。

 

よって、高い到達点を目指すのであれば、上記に挙げた分野では猛烈な努力をいくら続けても結果が出ないとなったら、ある種の諦めも必要な気がします。

 

また、私の本「今の日本の教育改革のネタ元本」の第3章からの引用をします。

 

努力できることが才能ということは「あなたの脳のしつけ方」に書かれています。

何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が高く、かつ損得を冷静に計算する機能が鈍い人こそが「努力できる人」なのです。

逆に何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が弱く、損得を計算できる人が「努力できない人」といえます。つまり、努力できるかできないかは、本人のがんばりというよりも、脳の構造の違いによるところが大きいことが判明しました。

P155、156から引用・まとめ。とあります。

 

このことから言えることは、努力ができる人は努力自体に報酬を感じる素質があるのです。また、損得をあまり考えないので、努力ができるとも言えます。私は損得に関しては暗示により、鈍らせるようにしています。努力自体に報酬を感じることは、「私は努力することは非常に大事」という価値観が根強くあり、努力そのものを信じているので、ある意味報酬を感じているのでしょう。

 

これらから、私は今まで約7000冊のビジネス書を読み続けることができたと言えます。努力自体を重要視し、報酬を感じていたし、損得(この仕事、やる意味あるのかななど)も暗示により鈍らせました

 

逆に言えば、努力自体に価値を置いていない上に、報酬を感じず、損得を計算してしまう人は努力をしないので、成功の一要因(遺伝の4割の猛烈に努力できる体質)がないと言え、成功からは遠ざかると言えそうです。

 

つまり、努力ができるのもやはり才能であるということですね。

 

そもそも「苦痛度が減る、負荷が減るまで努力をし続けられる人」も稀ですし、「苦痛度が減った後も高い到達点に達するまで努力し続けられる人」はさらに稀になります。

 

そう考えると、世の中、職業選択は難しい話です。向いている、向いてないはある程度、やり続けてみて初めて分かります。苦痛度が一向に減らないのであれば、その分野には才能がないのかもしれません。または、結果が何年続けても出ない場合も言えます。

 

以上です。