才能とはいったい何なのか?2

目次

  1. 才能の公式
  2. センスと情熱、苦痛度の観点から
  3. 私の場合
  4. 向き不向きと職業選択 

才能の公式

私は、以下の記事で、才能とは分野別(大学受験やスポーツなど多数)において、成功(一発屋ではなく持続的成功と定義)するために、遺伝5割(「上達の速さとセンスの良さ」が1割猛烈に努力ができるが4割環境4割×運1割の要素が求められると書きました。

 

 

 

センスと情熱、苦痛度の観点から

この方程式をさらに眺めたり、他者の意見を見たところ、才能とは情熱であるや、センスは知識+経験であり、どのように物事を見るか?という言及がありました。

 

いろいろと考えた結果、センスの良さはある程度は鍛えられるのでは?という仮説を私は持っていますが、知識+経験の蓄積によって、物事への見方が変わるとすれば、センスはある程度、磨かれるとは言えるでしょうね。

 

そして、情熱についてですが、情熱とは精神論すぎて、よくわからないのです。好きと同じなのでしょうか?それとものめり込める素質ということでしょうか。好きやのめり込める素質だと仮にすると、猛烈な努力が続けられれるのは情熱(好きやのめり込める素質など)があるからだとも言えそうですが、私はこの意見よりも、違う見解を持っています。

 

おそらく、情熱があるから(好きだし、のめり込める素質があるから)、猛烈な努力ができるという意見もありえますが、私はある分野において、他人よりも「苦痛度が低い」という表現をよく使います。

 

大学受験勉強を心底、情熱をもってやっている人(好きで、のめり込んでいる人)ってかなりの少数だと思います。では、偏差値70近辺までどうやって到達したのか?といえば、数学、物理学、現代文でいえば、センスがあるという曖昧な表現になりますし、センスがあったので成績が伸びたとも言えますが、勉強に対する「苦痛度が低い」ことも関係があると思うのです。

 

つまり、猛烈な勉強をしている人の姿は他人から見たら、「どうしてあんなに勉強できるんだ?」と驚かれると思うのですが、当人からしたら、「苦痛度が低い」または情熱があり、やっているに過ぎないわけです。

 

私の場合

私の場合、運動は苦手ではないですが、例えば、テニスであれば、錦織選手並みに到達できるかといえばまったく自信がありません。なぜなら、苦痛度が高いからです。そもそも、私は身体を動かすより、頭を動かすのが好きであり、後者の方が苦痛度が低いのです。

 

週に2回、強制的に毎回1時間早歩きの散歩を課していますが、それは習慣化されていますが、強制的にやっています。とてもじゃないですが、強制しなければ、やらないと思います。つまり、苦痛度が圧倒的に高いのです。

 

対して、文章を書いたり、企画案を考えたり、勉強をすることは、全者の2つ(文章と企画)は好き(情熱とまではいかない。つまり得意というか勝手に発想が浮かぶのでやっている))でやっているのですが、勉強は苦痛度が運動と比べたら低いので、その道しかないと思えばやれると思います。

 

要は、人には向き・不向きがあり、才能があるとはその分野に向いている人、要は、「苦痛度が低い」か「情熱があること(好きやのめり込める素質など)」なので、猛烈な努力ができる人で、遺伝の4割を占めている人と言えそうですね。

 

1割の「上達の速さ」と「センスの良さ」は生まれ持ったものもあれば、センスのようにある程度は磨けるものもあるかと思います。(センスの良さがある程度、磨けるは私の仮説です)

 

よって、明らかにその分野に向いていない人に「その仕事を勧める」のは罪なのです。苦痛度が高く、または「情熱があり、好き」だけど得意までにはいかない(下手の横好き)人は、向いてないので、別の進路を探した方がいいということです。

 

私は将棋は好きですが、2級どまりなので、好きレベルであり、情熱まではいかないし、猛烈に努力ができるか未知数です。年齢的にも、プロになるにはもはや手遅れだし、趣味レベルです。

 

以上、才能の分析の深堀りでした。

向き不向きと職業選択

向いている人はその分野に向いていることに無自覚なことが多いです。明らかにその分野に向いてない人にまで「頑張ればできるよ」とか言う人もいます。私は向いている人には「頑張ればできるよ」はOKな言葉だと思いますが、向いてない人にはいたずらに時間を消耗させるので、罪な人だと思います。

 

人には、向き・不向きがあるのですから、向いている分野で頑張ればいいのです。そして、世の中、助け合いであり、向いている人同士、いろいろな職業で成立しているのです。職業選択においては私の才能論の視点から見て、選ぶと賢いと思います。(苦痛度が低いのであれば、猛烈な努力が続けられる可能性が高まりますから)

 

最後に、到達点の話もありますが、それは天才の話であり、才能の有無の結果、到達したという結果論です。高い到達点に達することができるのが才能という論は結果論に過ぎません。以下の記事に「天才の定義とは?」が書かれているので、参考にしてください。