才能とはいったい何なのか?

才能とはいったい何なのか?深く、突き詰めてみたいと思います。

 

才能とは、「GRITやり抜く力」という本によれば「上達の速さ」だと書いてありました。

 

 

 

 

ですが、私はそこに「センスの良さ」を加えました。「企画センスの良さ」「将棋でいえば打ち筋、読み筋の良さ」「音楽でいえば、大衆受けする音楽がわかるセンスの良さ」などです。

 

センスの良さとは「プロから見たら、一目瞭然に分かる」ものです。将棋で言えば、勝ちにつながりやすい手を打つ回数が多い、詰め将棋が強いなどはセンスが良いと言えます。

 

音楽でいえば、売れ筋(プロから見たら分かりやすいようです)の音楽を作れる、見分けることができる人はセンスが良いのです。

 

センスという言葉だと曖昧ですが、そもそも定義しづらい言葉です。理由は芸術の世界なら、主観で決まる分野であり、スポーツや将棋などであれば勝ち、結果につながりやすいモノ(客観的?)を持っているか?だからです。

 

主観と客観が混ざっている世界の強さをセンスと呼ぶならば、センスとは曖昧にならざるを得ません。敢えて言えば、「プロから見たら判別がしやすい」ということが言えます。

 

そして、センスって、私は基本的に「センスのいいもの」に大量に触れることによって、審美眼が磨かれると考えています。よって、「センスの良さ」もある程度、鍛えられるのでは?という仮説を持っています。(あくまで仮説です)

 

いくら不器用でセンスがない人でも、大量にセンスの良いモノに触れたら、天才的なセンスの良い人が「10点」だとしたら、不器用な人が大量に触れて磨いたセンスの良さは「6点~7点」ぐらいまでは引き上げられるのでは?と。(これも感覚的な話であり、定量化は難しいです)

 

才能とは遺伝という説もあります。文章力、知能、数学的能力など、遺伝率が書かれていた記事を読んだことがあります。全ての能力の遺伝率を平均として5割ぐらいと見積もると、人生での成功は遺伝5割×環境4割×運1割ぐらいなのでは?と私は考えています。(この公式は掛け算なのがミソです。どれも欠けては成功から遠ざかります)

 

ちなみに、成功の定義は「持続的に経済的、社会的成功を収めること」とします。一発屋は含みません一発屋は運の要素が大きくなるからです。持続的な成功のためには能力(スキル)が必要です。その能力(スキル)育成のためには、遺伝と環境が9割を占めると言えそうです。

 

さて、ここで才能の話に戻りますが、努力はどこにいったのでしょうか?努力の余地はないのか?と思った人がいることでしょう。正直、私は才能(上達の速さセンスの良さ)よりも、努力(研究や試行錯誤や泥臭い実行含む)こそが、成功のかなりの部分を占めると考えています。

 

以下の本を読めば、超一流になるのに「いかに努力が大事か」が分かります。私の今まで読んだ自己啓発本の中でNO.1の本です。

 

 

 

しかしです。「努力ができるのも才能のうち」という事実があったらどうしますか?実はあるのです。私の本「今の日本の教育改革のネタ元本」の第3章からの引用です。

 

努力できることが才能ということは「あなたの脳のしつけ方」に書かれています。何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が高く、かつ損得を冷静に計算する機能が鈍い人こそが「努力できる人」なのです。

 

逆に何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が弱く、損得を計算できる人が「努力できない人」といえます。つまり、努力できるかできないかは本人のがんばりというよりも、脳の構造の違いによるところが大きいことが判明しました。P155、156から引用・まとめ。とあります。

 

努力遺伝子なるものがあるとは驚きです。努力が実りやすいものは楽器、語学、運動技能の習得、受験勉強、絵を描く技術などがあります。受験勉強は努力が実るものでした。

 

逆に、努力が実りにくいものとは足の速さや跳躍力、肩の強さ、数学力などがあります。努力できないことも一つの才能であるという衝撃の内容が「あなたの脳のしつけ方」には書かれているので、興味ある方は読んでみるといいかもしれないです。以上、ここまで。

 

この話では、偏差値60ぐらいまでは努力で何とか到達可能だと私は主張していて、偏差値70近辺は「普通ではない人」なので、努力がそこまでできるのも才能だと書いています。「努力できるのも才能のうち」なのです。

 

この話を聞けば、努力の限界値が分かってしまい、やる気をなくしそうです。しかし、遺伝子検査などを受けない限り、自分が努力できる体質なのか、そうではないのかは判明しづらいでしょう。

 

ならば、「自分は努力できる」と信じたほうが世の中にとっても自分にとってもいいような気がします。というのも、人が最大限に頑張れば、社会的に見れば国力が上がりますし、個人でいえば収入が増えやすくなるからです。(ブラック企業に搾取されるケースもありますが)

 

また、努力を軽視しすぎなのも良くないです。というのも、もし仮に「猛烈に努力できる人」がいたとして、彼を24時間監視したり、間近に接することができたなら、その努力量と効率の良さに驚くと思うからです。

 

ここまでやれば「そりゃ、成功する、結果が出るわな」と多くの人が感じるはずです。猛烈に努力ができるのも才能なのですが、その猛烈な努力の姿を仮に24時間見れたら、才能や天才で済ますのはかわいそうだと感じると思います。

 

さて、遺伝5割×環境4割×運1割どこに努力を含めるべきでしょうか?私は遺伝の5割に含めたいと思います。というのも、「努力も才能のうち」だからです。遺伝は才能であり、才能であるなら、努力も入ります

 

正確には遺伝5割の内訳才能(上達の速さとセンスの良さ)は1割で、猛烈に努力ができるが4割で構成されていると思っています。ちなみに、努力ができるのも才能のうちと書きましたが、猛烈な努力ができることですからね。

 

分野別に猛烈な努力ができるか?も決まっていると思います。受験勉強は正規分布のように、猛烈な努力ができる層、普通の努力ができる層、全然努力ができない層に分かれるのではないか?と推測しています。

 

べき分布のように、極端にできる層1割凡人9割みたいな分布がある分野もあるかもしれません。

 

あとは環境ですね。環境が4割というのは大きいです。どんなに努力体質で才能があっても、環境が悪ければ開花しません

 

例えば、テニスでいえば、米国などに行かないと世界レベルには達しにくいでしょう。騒音がうるさい家や様々なトラブルに巻き込まれた中での勉強や仕事は順調にはいきません

 

また、勉強なら良い参考書や講義を受けられるお金がないといけません。(仕事なら読書です。または、一流人との接触です)

 

環境が最悪の例を挙げます。家が貧困家庭で、家事とバイトをしなくては家計が回らず、家はガタガタで騒音がひどく、金がほとんどないので、参考書と受験サプリなどだけで勉強し(実はこれは良い選択)、疲労と睡魔の中、限られた勉強時間しかない高校生となれば、かなりの逆境でしょう。

 

このような環境下で一流大学に受かるには、遺伝(才能1割と努力4割)を存分に発揮しないと無理でしょう。運は大学入試なら1割程度、左右するでしょう。こういう想像をすれば、成功(この場合は受験)の法則として、遺伝5割×環境4割×運1割もあながち的外れとは言えないでしょうね。

 

富裕層高学歴(東大)の家庭の子供が東大に行きやすいのは、遺伝もあるでしょうが、環境面は大きいと思います。環境4割がいかんなく用意されているのです。情報も金も人脈も豊富にある富裕層や高学歴の家庭で育てば、そりゃ東大に受かりやすくなります。

 

そこに遺伝も加わるのでしょうから、余計にです。私は環境、特に、情報格差を縮めたいという目的で本やブログ記事を書いています。情報格差が富裕層や高学歴と同等になれば、あとは実行で差をつけるだけです。

 

その実行には遺伝(才能努力)も関係してきますが、そこは変えられないので仕方ありません。しかし、環境(情報格差)で遺伝に恵まれた人が潰れるケースもあると思うので、そういう人にはチャンスを与えたいですよね。異能が環境のせいで潰れるのは国家の損失ですから。

 

以上です。