「仕事≠学力(高学歴)≠人格の公式」

「仕事≠学力(高学歴)≠人格の公式」

 

まず、「仕事≠学力(高学歴)≠人格」の公式があると思います。≠はノットイコールの意味です。つまり、仕事と学力と人格は全てイコールではなく、別物という意味です。

 

 

仕事と学力は分かりやすい指標ですが、人格が分かりにくいので私の定義を書きます。人格の良い人とは、「人のため、世のために尽くす人であり、人に害を与えず、どちらかと言えば益を与える人」と定義します。

 

詳しく説明します。大方の人間は自己中心的であり、自己保身が生物としての本能です。以下の記事に書いてあります。

 


 

もちろん、自分の生命、利益が第一なのは分かりますが、それ以上に他人や世の中のために尽くせる人が人格の良い人だと私は思います。マザーテレサは自分の利益より、他人や世の中を優先させすぎなので、普通の人は真似できないでしょう。

 

自身も成功し、その余力を他人や世の中に分け与えるのが人格の良い人だとも言えそうです。しかし、その自身の成功が他人を押しのけたり、潰してのし上がったり、不正によって成功したのだとしたら、人格者ではありません

 

金銭面の分配(税金の納税も当然、当てはまります)は分かりやすいですが、世の中のためになる本の出版や、人類の発展に寄与する研究なども成功者が世のため、人のために採った行動と言えるでしょう。

 

次に、害を与えないというのは「人を不快にさせない、バカにしない」などを指します。人を不快にさせる言動や態度、バカにする言動や態度は「性格が悪い」と捉えられます。それに、人をいじめるも加わるでしょう。

 

これらの害を与える行動をしない人は人格者の持ち主です。そして、益を与えるとは、「人をいい気分にさせる、人を大切にする」などを指します。そういう人は「性格がいい」と捉えられます。

 

これらの点が人格者の持ち主としての必要要件ではないでしょうか?これらの知識を基に、「仕事≠学力(高学歴)≠人格」の公式の意味を紐解いてみましょう。

 

 それぞれ、考えていきますね。

 

仕事ができる人でも学力が低い人はいます。(営業は特にその傾向が強いです)  

 

仕事ができる人でも人格が最低な人がいます。(経営者やメディアや弁護士などはサイコパスが多いそうです。人の尊厳を踏みにじるのです。そう考えると、成功者ほど人格が悪いという仮説まで立てられそうです)

 

学力が高くても仕事ができない人がいます。(高学歴で、東大までの人と言われる人が典型例です。最近は高学歴のワーキングプアも増加中です)  

 

学力が高くても人格が最低な人がいます。(早稲田や慶応や東大や千葉大医学部で強姦が起きました。比率は詳しくは知らないです。たまたま高学歴の事例がクローズアップされただけかもしれません。また、私の経験では高学歴ほど智恵のない人を見下す傾向があると感じています。見下す、バカにするは人格者ではありません)

 

人格が良くても学力が低いか、仕事ができない人はいます。(いわゆる、いい人です)

 

これらの事例のように、仕事と学力と人格は全て、別物と捉えた方がいいのです。

 

仕事は仕事を実際にやらせてみて、評価すべきです。学力はペーパー試験や論文などで評価できるでしょう。人格は評価が難しい部類に入ります。

 

仕事ができても、人格が最低な人はそもそも仕事の時は別人を演じています。プライベートな面を見せません。割り切っているのです。ま、仕事は仕事なので、それでも良しでしょう。(ですが、犯罪行為を起こす人は人格が最低と評価されますし、人格が最低だとプライべートな付き合いは避けたいかもしれません)  

 

以下の記事で、仕事はスキル重視であり、人格は含まれないと書いています。

 

 

しかし、その人格までもスキルに加え、正当性をTV局が作り出し、権威を維持しているという話も書きました。

 

 

 

そして、学力が高い高学歴層はそもそも人格を評価するような選別を受けていません。(特に、日本では)   ペーパー試験中心ですし、面接も非常に少ないです。これらのことから、上記の公式が成り立つことがわかるのではないでしょうか?

 

ちなみに、学力がある方が知的な仕事では成果を出しやすいとは思います。しかし、学力+αの部分がけっこう仕事では要求されます。「学力+コミュ力+熱意や忍耐などの精神力+体力+学力以上の高度専門知識+思考力」などです。学力だけで、仕事力が決まらないので、学力=仕事が完全にイコールにならないわけですね。(知的な仕事では高学歴層の活躍が高まる傾向にあるとは思いますが) 

 

学力が高く仕事ができる成功者が、必ずしも人格者じゃないという不都合な話です。スティーブ・ジョブズも人格破綻者だったと言われています。成功者が尊敬できない人格の持ち主だったという真実は受け入れにくい話ではないでしょうか?

 

しかし、大半の人が人格者ではありません自分自身を生きるのが精一杯であり、他人や世のために尽くせる余裕のある人など少数です。しかし、エリートは「ノブレスオブリージュ」の精神を求められます。

 

この意味は「財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴う」ことを指します。弱者や世のために尽くす義務もあると言えそうです。それは金で貢献する人もいれば、頭で貢献する人もいれば、汗で貢献する人もいます。

 

しかし、日本の高学歴の人たちにこの精神があるのでしょうか? 低学歴はバカにし、弱者の存在など無視し、自分たちの私腹を肥やすことばかりじゃないでしょうか? こういう人は人格者ではありません。だから、上の公式が成り立つのです。

 

ちなみに、「尊敬」「好き」と、「バカにする」は別物です。私は建築の大工さんは尊敬とまではいきませんが、私のできない仕事をしており、立派だと思っています。異性として好きとなると、高学歴の女性は大工さんとは結婚したがらないでしょう。さて、ここから、「バカにする」の定義を明確にしていきます。

 

「バカにする」とは他人を尊重しない、もしくは人間として見ていないということです。また、「バカにされる人間」とは私の視点で言えば、「怠けている」人と言えます。怠けている人とは例えば、Fラン大学の人入学した時点では勉強をさぼったと言えます。そういう意味で、勉強を頑張った人からはバカにされやすいです。ですが、Fラン大学に入学後、猛烈に頑張ったり、学業はダメでしたが、建築系の仕事に就いて頑張っているなら、バカにされる筋合いはないでしょう。

 

「バカにされる」とは、怠けている人なのですから、生活保護でパチンコをしている人はバカにされて当然とも言えます。

 

そうなのです。低学歴をバカにする高学歴者は、Fラン卒でも大工さんとして立派に働いているのにバカにしてるのか?という論点なのです。(大工さんに限らず、仕事をちゃんとしている人のことです) または、たとえ無職でも(または病気などの事情がありながらも)夢に向かって猛烈に頑張っている人すら、バカにしているのか?という論点なのです。

 

私は、「バカにされる人」とは怠けている人という解釈なので、何かに猛烈に頑張っている人は、バカにしません。逆に、怠けている人(大学に入っても、怠けた生活を送る大学生)はさすがにバカにするというか、軽蔑してしまいます。(引退した大富豪などは怠けていても、若いときに猛烈に頑張ったのですから、関係ありません)

 

このような意味が「バカにする」には含まれているのでご注意ください。いくら、人格者でも怠けている人を「バカにする」感覚は多少は持ってしまうのでしょうね。(私の話ではなく、人格者は怠けている人はさすがにバカにしてしまうという想像です)

 

話を戻しますが、仕事がいくらできようが、学力があって、エリートだろうが、人格まで良いとは限りません。逆に、エリートほど、低学歴(怠けている人はバカにされても仕方ないですが)をバカにし、自分たちだけが有利になるように生きています「ノブレスオブリージュ」の精神などかけらもありません。

 

エリートじゃない庶民は自分自身で精一杯ですし、そういう人は他人や世のために尽くす余裕は当然ありませんが、「人に害を与えない、益を与える」ことぐらいは、ある程度、意識して心がけてほしいのです。(私も含みます)

 

しかし、人の手助けをしても基本的に得になることはありませんから、いくらエリートでもそういう気が起こらないのも理解はできます。ですが、機会の平等は用意するべきでしょう。

 

人格者=(性格がいい人、悪い人)という漠然とした捉え方でもあながち間違っていないでしょう。世のため、人のためのような壮大なことはできなくても仕方ありませんが、害を与えない、益を与えるような軽い心がげくらいは皆がすれば、世の中、もっと住みやすくなるのでは?と思います。

 

「人に不快にさせられた」とあなたが思ったなら、大体の場合、あなたの直観は正しいと思っていいでしょう。(稀に、被害妄想もあります) 意図的にあなたを不快にさせたのです、そういう人は

 

そういう人にはこちらも応酬してかまわないでしょう。(目には目をです) いくら、害を与えない精神が大事でも、相手が害を与えてきたら、抵抗か対抗しなければなりません「いい人にはいい対応を」「悪い人には悪い対応を」が人間関係の基本だと私は思っています。「悪い行動」をされてまで、泣き寝入りする必要はないでしょう。

 

世の中、仕事と学力と人格は全部、別物と捉えておくと、矛盾を感じ、悩むことはなくなります「金があっても、仕事ができても性格はクソ」という人間がいるのですから。

 

以上です。