自己責任の範疇を超えている話 ルール打破編

「自己責任の範疇を超えている話 ルール打破編」というタイトルで論じていきたいと思います。

 

まず、自己責任原則というのは学校からも基本的に日本では教えられていないでしょう。(これは推測です) しかし、世の中は自己責任原則になっています。この現実から出発する必要があります

 

ですが、自己責任を超えているという話もあります。

「意図を持った詐欺師に騙されるのは、自己責任の範疇を超えているという話」という記事に詳しく書きましたが、まだ続きがあります。

 

 

まず、世の中にはルールがあります。そのルールには基本的に従わなければなりません

ルールが嫌なら、例えば、国の場合なら、「日本から出ていけばいい」となりますし、企業なら「転職しろか、辞めろ」となります。しかしです。企業の場合なら、ブラック企業での過労死レベルの労働なら、理不尽であり、自己責任原則を超えていると思います。この場合、法律が守ってくれるでしょう。

 

次に、大学受験でいえば、私の例ですが、現代文、古文、漢文が大嫌いです。一番、実用性が薄い科目(執筆力というスキルとは無関係)だと思っているからです。特に、センター試験が該当します。しかし、国立の大学(センター試験採用私立大学でも)に受かるためには、センター国語は避けて通れません

 

そこで抜け道を探します。つまり、センター国語のない大学、例えば、慶応大学(小論文)や、AO入試などを狙うのです。または、そもそも大学に進学しないで、ITなどの分野で起業という道もあるでしょう。大学受験のルールに従わない人はこういう道を通ればいいのです。

 

あまりにも自分に向いてないルールの中で勝負するのは愚策だと思います。私の場合、センター国語が壊滅的に相性が悪いので、国立を狙わなければいいのです。現代文、古文、漢文がない慶應は狙い目でしょう。または、大学受験をすっ飛ばして、違う分野(ITなど)で勝負をすればいいのです。または、資格系(法律や会計士や中小企業診断士など。相性が合えば)もありでしょう。

 

さらに、「今の日本の教育改革のネタ元本」を書いた理由は、日本の後世の人のためにです。実用性が薄い科目を勉強してばかりいたら、損じゃないですか?センター国語しかり、歴史系科目しかり。歴史系科目は私は得意でしたが、あの試験方式でいいとはあまり思いません。ただ、暗記力はついたと思います。つまり、OS力やノウハウ学力というものです。コンテンツ学力は無意味です。私にはもはや学歴なんて関係ないので(そういう年齢です)、本を書いた理由は後世の人のためにです。

 

ちなみに、ルールに従わない人にはまだ解決法があります。それは、ルールを作る側に回るか、ルール策定者に働きかけることです。ルールを作る側は文科省や政治家にならないといけないので、かなりの厳しい道となりますので、私は「今の日本の教育改革のネタ元本」で、ルール策定者に働きかける道を選びました。

 

企業なら、企業のルールに従わないのなら、転職か辞めればいいのです。過労死レベルの労働なら、理不尽なので、自己責任原則を超えていますが、そこまでのレベルじゃない場合、自己責任なので、その人の愚痴や不満は言い訳にすぎません

 

愚痴や不満を言う人がよくいますが、ルールを作る側に回るか、ルール策定者に働きかけるか、日本を出ていくか、企業を辞めるか転職するかが、問題解決法なのです

 

愚痴や不満で同情や共感されるレベルは自己責任原則を超えた理不尽レベルのみです。それ以外は、その人が怠けたや判断を誤ったなどの自己責任なのです。もちろん、「自己責任過剰の時代」でも書きましたが、スーパーマンじゃないと自己責任原則時代を生き抜くのは難しいです。

この過酷な自己責任過剰の時代を少しでも有利に生きれるように、私は情報格差を縮めるためにたくさん本を書いたのです

 

それらの情報を得たうえで、後は実行力格差で世の中での結果を求めるのがいいと思います。

実行力格差での、そもそも「努力することが才能だ」論を言ったら、元も子もありません。努力はかなり重要であり、努力でノーベル賞レベルや世界NO.1レベルじゃない限り、ある程度の上位層には行けると思います。多くの人はノーベル賞や世界NO.1レベルを目指しているわけではないでしょう?ならば、努力は通用します

 

愚痴や不満を言う人は、正直、周りに迷惑がられると思うので、この話を頭に入れた方がいいと思いますよ。

 

 参考・引用文献。

https://koboblog.net/2017/03/19/rules-are-rules/