「私が自己責任、情報格差という言葉を連呼する理由」

「私が自己責任、情報格差という言葉を連呼する理由」

 

まず、「今の日本の教育改革のネタ元本」からの抜粋を読んでください。

では、貼ります。

 

さて、知識があるかないかで、差がつく段階のことを情報格差と言います。

次に、知識があるなしの段階を超えて、実行できるかできないかで差がつく段階のことを「実行力格差」と言います。

知っていても、実行できないことって、世の中多いです。「分かっているけど、できない」ってやつですね。

 

この構図を4象限にまとめました。

1            知識がある人&実行して結果を出した人

2            知識がある人&実行できなく、結果を出せなかった人

3            知識がない人&実行して結果を出した人

4            知識がない人&実行できなく、結果を出せなかった人

 

1の人は理想系でしょう。きちんとした知識があることから、方法論にも詳しく、コーチやマネジメントもできるでしょう。

2の人は情報だけはあるのですが、いわゆるノウハウコレクターと呼ばれる人達で、実行段階でつまずいている人達です。情報や認識さえもない人が大半ですので、何もない人達に比べたら、マシです。

3の人は実践派であり、天才肌でしょう。ただし、理論や方法論や知識が乏しいので、なぜ成果が出たのか不明で、人に教えることは難しいでしょう。

いわゆる、再現性も低いです。野球の長嶋茂雄さんでしょうか。

4の人は、世の中の大半の人達です。私の本でまずは知識だけは蓄えて、知識武装した方が良いでしょう。

 

以上、ここまで。

 

情報格差については私は真剣に憂慮しています。

ネット時代だから、情報格差」なんてないでしょ?と言う人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。情報格差とは、単に、情報が転がっている環境だけを言うのではなく(環境だけなら、ネット時代の今は有料情報や本なら、そこそこ質が高い情報が転がっています。無料はそれなりです)、情報を得ようという情報意欲格差も指すのです。

 

情報の価値を分かっていない人も意外と多いのです。だからこそ、大学生の大半は読書をしないのです。情報の大切さが分かっていれば読書をもっとするはずです。ネットだけで済まそうというのは、分量からいっても、少なすぎでしょう。9割の本はすっかすかの分量水増し本ですが、1割の本は非常に内容が濃い上に分量も多く、そういう本を読まない人は情報意欲がないか、情報の価値が分かっていない(または教えられていない)と感じます。

 

世の中は、ネット時代の今でも「情報戦」なのです。

 

次に、自己責任ついて私はけっこう記事を書いています。以下の3つです。


 

なぜかというと、自己責任原則を学校でも教えていないと思うからです。今の学校で自己責任原則は教えられているのでしょうか?(詳しく知らないです) もしくは、自己責任はもはや過剰であり、もはや無理ゲー(無理な、クリアできないゲームという意味)だと思います。

 

何でもかんでも自己責任で済ます風潮はどうなのか?という意味です。スーパーマンか、人脈や金がないと、自己責任過剰時代を生き抜いていくのは厳しいと思います。 (または、相当な素質や遺伝や才能がないとですね)

 

さらに、大人たちは詐欺的に騙そうとしてきますから、自己責任原則は限界があります。詐欺までいかなくても「情報の非対称性」で、騙されるケースは多いのです。

つまり、知識が上の人は知識が少ない人を自在に動かしたり、騙せるのです保険、株式投資、法律、IT、経営、大学受験(塾など含む)、恋愛など多数の分野において、知識や経験が上な人は、下の人を騙すことは可能です

 

詐欺とまではいかなくても、有利な交渉をしたり、有利な契約をできたりするのです。

ここでも、情報格差(情報意欲格差)は重要な話になります。

 

ここで、私の個人的な話をします。

私がなぜ、「自己責任や情報格差について真剣に憂慮しているのか?が分かる内容です。

 

まず、私は諸事情により、3流以下(偏差値で53くらい)の高校に進学しました。その高校はかなり劣悪な環境で、例えば、高校3年で英文法の5文型を復習させたり、仮定法をいっさいやらなかったり、世界史だったら近現代まで終わっていませんでした

 

私は、軽い気持ちで日東駒専レベルの大学を第一志望として書いており、実際に現役で受かった大学も日東駒専レベルでした。当時はネットがなく、その高校とTVと本屋と親が情報源になりますが、高校は最悪であり、TVでも大学受験の情報などなく(ドラゴン桜とかない)、本屋も大きな本屋はなく、親も高学歴じゃないので、情報がまったく入ってきていませんでした

 

そうなのです。情報がなさすぎたのです。もし、親が高学歴だったり、ネットがあれば、もっと高い大学を目指す動機付けができていたかもしれません。しかし、そういう環境下ではありませんでした。さらに言うと、高校での授業がまったく役立たなかったので私は聞いていませんでした

 

そして、代わりに参考書だけで独学していました。(正確には、塾も行っていたのですが、その塾もほぼ当てにならないような塾でした

 

現役のときは、単語も1000語ぐらいしか覚えていなかったと思います。(ターゲット1900の単語帳です) 世界史に関しては、かなり覚えていて、教科書をほぼ丸暗記していました。世界史は後の浪人のときに、教科書完全丸暗記により、当時の代ゼミの偏差値66~68ぐらい取っていました。(教科書を完全丸暗記しても、それくらいしかいかないのです。教科書に載ってない情報が出されており、それを覚えないと、偏差値70以上いかないのでしょう)

 

国語に関しては古文・漢文は大嫌いでしたが、それなりに勉強し、現代文も結構参考書をやりました。(出口の現代文講義は当然読んでいます) しかし、世界史と英語はそこそこ偏差値は伸びたのですが、国語だけはまったく伸びませんでした。理由は、今でも不明です。

 

そして、日東駒専に受かったのですが、諸事情により進学せず、浪人(宅浪)することにしました。浪人中は世界史は先ほど述べた通り、代ゼミでの偏差値66~68ぐらいまでいき、英語は60ぐらい、国語は53ぐらいでした。正直、浪人中に全力を発揮できたかといえば、できていません。理由は諸事情のため伏せます。全力でやれば、もっと高い偏差値は出せた可能性は残ります。

 

また、今の英語の能力は英単語でいえば、Weblioというサイトで7000~12000語レベルです。(最低7000で、最高12000語です。平均は8000語くらいです。英検1級の単語を多少、かじったり、TOEIC満点レベルの単語集を終わらせたりしました)

 

英語は読めるのですが、リスニングや発音が壊滅的にできないし英語を英語のまま理解し、読めないので、訳す作業が入り、どうしても読むスピードが遅くなってしまいますエコノミストなどもある程度読めるのですが、スピードが遅いです。(語彙力と文法力と解釈力で読んでます) この実力ではTOEICでは悲惨なことになるでしょう。

 

しかし、語彙力、文法力に関しては、ある程度固めたので、遅いですけど英文は読めますね。私は英語に今後、時間を割く暇はないと思います。遅いスピードですが、エコノミストがそこそこ読めるということで終わりとします。

 

国語に関してはビジネス書を約7000冊読んだレベルでも、悲惨なことになっています。

2017年のセンター試験を解いたのですが、壊滅的でした。漢字は大丈夫ですが、選択肢については外しまくりました。センター試験とかなり相性が悪いようなのです。

 

早稲田の現代文も解いたことがありますが、こちらはそこそこ解けました。また、東大の現代文も2016年、2017年と読みましたが、理解はできました。(設問は解いていません) このような理由から、センター試験の国語とはいったい何なのか?という疑問がむくむくと湧き、「今の日本の教育改革のネタ元本」の執筆までに至りました。

 

ちなみに、数学と理科に関してはかなり弱いです。高校数学からやり直している最中です。理系については「今の日本の教育改革のネタ元本」でも、ほとんど言及していません。詳しくないのですから、当然です。文系については熟知していると思うので、書きました。(政治経済という科目も詳しいです。経済学もある程度、学びましたから)

 

このような私の環境や体験から、「自己責任や情報格差について考えるに至りました。親も学校もその他も、当時、誰も教えてくれませんでした。今はネットがありますから、情報を手に入れようという意欲があれば、ある程度、補えますが、当時は無理でした。私は情報格差によって、学歴はかなり変わると思いました。

 

「自己責任」という言葉すら、当時は知りませんでした。劣悪な環境下から、這い上がるのは想像以上に厳しいです。私は参考書と本だけで、執筆力や知識を獲得しました。

独学です。誰も教えてくれませんでした。私は、恵まれた環境で育てられた人は羨ましいと思う反面、逆境力に欠けるのだろうなとも感じています。(一般論です)

 

学歴は努力以上に、親や環境のおかげです。私のように、努力すらできない環境下にいたり、そもそも知る情報が少なすぎたという人がいるのです。

 

そして、学歴や経歴はシグナルとしては有効です。

 

2014年か、2015年に書いた当時の文章を貼ります。(当時の文章のままです)

 

「全てはゼロベース思考と確率論」

タイトルの意味は読んでいくうちに判明していくので安心してください。

 

肩書のある人、高学歴者は確率的に能力者が多いです。しかし、稀にハズレがいるので、それらを見極めるためにゼロベース思考(真っ白な状態で疑う)をするといいでしょう。逆に、肩書のない人、低学歴者は確率的に能力が低いです。(もしくは活躍するジャンルが違います。G型やL型の区分けのように。後述します) しかし、稀に高能力者が紛れているので、ゼロベース思考で見極めるといいです。

 

能力者にもこの法則は当てはまります。能力者は確率的に選択も正しいし、実力を発揮するでしょう。しかし、権威でも外すように、たまに間違えます。それを見極めるためにゼロベース思考で一応疑うのです。逆に、低能力者は確率的に選択を間違えるし、実力も発揮しませんが、たまに正しいことを言う場合がありますそれを捉えれば、自分の知識になります

 

もっと分かりやすく言います。凡人名手名人の順に力量が上です。凡人は名手から学び、名手は名人から学びます名人は一番上なので、学ぶ対象がないですが、凡人から少しでも学ぶことがあれば吸収するので、上達していきます。全くダメな凡人でも反面教師として学ぶのです。

 

また、長い期間で見れば、大数の法則の通り、実力に収斂(しゅうれん)します長い期間やたくさんの試行回数で、その人の実力を判断すべきだと考えます。一発屋やまぐれの成功は、その人の本当の実力ではないのではないでしょうか?長い目で見れば、実力こそが、本当の長期的な成功への道であると私は考えています。逆に、短期決戦であるなら、実力以外に運の要素も大いに関係します。

 

まとめますと、長い期間で人生を見ようという主張と、権威や高能力者でも稀に外すので、ゼロベース思考で念のため疑いましょうという話です。

 

ただし、注意点があります。

人がゼロベース思考で疑うことができるのは、自分の詳しい専門分野だけだということです。専門外のことはシグナル(肩書や権威など)で判断せざるを得ませんよね?もしくは自分の信頼している「専門家や部下や参謀」が評価している人なら、安心でしょう

 

自分の詳しい分野はシグナルだけで判断しないで、内容をきちんと見て疑うべきでしょう権威でもたまに間違えるからです。「誰が言うのか」ではなく、「何を言うのか」内容をきちんと見るのです。自分の専門外のことは、信用の置ける外部に任せるか、シグナルで判断せざるを得ないのは確かです。専門外が多ければ多いほど、学歴・資格・肩書などのシグナル重視になります。

 

上の立場(社長や政治家など)に立つほど、自分の専門外のことが増えてきます。となりますと、自分の力で内容だけで判断できる事柄が減ってきます。上の立場の人は伝聞で決断を下すことが多くなるわけです。もちろん、その伝聞は「信頼の置ける参謀など」からのものです。自分の専門外のことをなるべく知るようにすることは大事ですが、完璧に知ることはできないのですから、あまり口先を挟むべきではないでしょう。「餅は餅屋に聞け」というわけです。専門家や現場に任せた方がいいということです。

 

以上、ここまで。(まだ、続きがありますが、省略することにします)

 

学歴や経歴はシグナルとしては有効ですが、もちろん、例外はいるのです。田中角栄中卒です。そして、私も例外に入ると思っています。学歴はないですが、実力を長年、蓄えてきましたビジネス書約7000冊という経歴(しかも、良書中心)だけでも、高学歴に匹敵すると個人的に思うのですけどねー。

 

とはいえ、他者評価ですし、他者が判断することです。私を評価しない人がいるのなら、仕方ありません。見てくれる人もきっといると思うので(かなりの少数でしょうが。中身で見るのは1割ですから)、そこに期待して、今後の活動を続けていく所存です。