嫌われる勇気?人から嫌われる理由とは?

「嫌われる勇気?人から嫌われる理由とは?」というテーマで論じていきたいと思います。

 

人から嫌われる理由とは何が原因なのでしょうか?それは、他人はそれぞれ独自の評価基準を持っていることに由来すると思います。つまり、他人は自分の評価基準に合致しない面を見せられた場合、嫌うのです。

 

例えば、私は、「いじる」という行為がものすごく嫌いです。いじられると嫌悪感が湧きます。

この「いじる」という行為は私にとってはNGな行為なのです。そして、私に向けられた「いじる行為」だけでなく、他者への「いじる行為」にさえ嫌悪感が湧きます。つまり、私にせよ、他者にせよ「いじるという行為がNG」という評価基準が私の中にあるわけです。

 

いじるという行為の中にも、明らかに冗談や愛のあるいじる行為なら、まぁ許容範囲です。または、お笑い芸人のいじりは商売として見ることができます。しかし、いじる行為に自分の欲求を満足させる意味(つまり、私の方が上や支配欲求など)が含まれていると感じたら、もうアウトです。

 

いわゆる、マウンティングであり、私の方が上よと暗に示してくるわけですから、それは気分が悪くなります。(特に、男が私にマウンティングしてくると非常に腹が立ちます。かなりの実力者ならまだしも) そういう人をものすごく軽蔑します。

 

これが評価基準の一例です。

 

他にも、人にはいろいろな評価基準があるでしょう。それらのNG行為に触れた場合、嫌われてしまうのです。

 

人から嫌われるという面ではなく、自分が人を嫌う理由として、よく「自分と似た面がある人を嫌う」「自分を承認してくれないか、自分を嫌う人を嫌う」という話を聞きます。そういう面もあるとは思います。ですが、評価基準という面からみるとわかりやすいです。

 

「自分と似た面がある人を嫌う」もある意味、自分の評価基準に合わない人を嫌うという話です。「自分を承認してくれないか、自分を嫌う人を嫌う」は、当たっている面もあれば当たっていない面もあるでしょう。それは、自分がかなり尊敬している人の場合、嫌われても、「こっちも嫌う」となるより、「まぁ、仕方ないか」ぐらいに収まると思うからです。そこには、「嫌われたら、嫌い返そう」という心理はそこまでありません。

 

それよりも、「自分の評価基準」を侵したり、NGな行為をした人を嫌うか、または「ダメな奴」という烙印を押すのだと思います。人によって、「評価基準」は異なりますので、人によって対応を変える必要があります。NGな行為をやったら、間違いなく嫌われるか、「ダメな奴」という烙印を押されます。

 

また、人によってはOKな行為なのに、別の人にはNGな行為もあるので、難しいところです。例えば、女性には、あるAという自分が好きな男性からのセクハラ行為は許容するのに対し、Bという自分が嫌いな男性からのセクハラ行為には嫌悪感を示すのです。これは、人によって、態度を変える、または評価基準を変えているわけです。

 

もちろん、「自分の好きな人からのセクハラ行為はOK」という評価基準を持っているとも言えます。やはり、評価基準が人にはあり、その評価基準のNG行為に触れると、嫌われるか、ダメな奴という烙印を押されるのです。この人の「評価基準」は何なんだろう?と観察することで、NGな行為をしなくなり、嫌われたり、ダメな奴という烙印を押される率が減るでしょう。

 

また、2017年3月15日放送のホンマでっかというTV番組の放送で、人が嫌われる理由として、心理学者の植木さんは「客観性評価のズレ」「他者時間に対する無配慮」「汎用性配慮の無さ」を挙げています。

「サンドイッチ美味しいなう」というつぶやきを例にすると、「客観性評価のズレ」の場合、自身が「サンドイッチ美味しいなう」というどうでもいいつぶやきを発信する立場にある人間なのか?と他者は見ており、それに値しない人が「サンドイッチ美味しいなう」とつぶやくと嫌われます。

 

次に、「他者時間に対する無配慮」の場合、「サンドイッチ美味しいなう」というのはその人の時間のタイミングであり、他者にとってタイミングが良いわけではないので、これも嫌われます。

最後の「汎用性配慮の無さ」については、「サンドイッチ美味しいなう」というつぶやきは皆の役に立つ「汎用性」がないので、嫌われます。

 

以上です。

 

 参考文献。

katohaya2125.hatenablog.com

 

他にもカトハヤさんの「自分と似た人を嫌いになる」系の記事も参考にしたのですが、記事が見つかりません。ここに書いておくことで、参考文献の代わりとします。