「自己啓発本はなぜ、数冊~数十冊読めば事足りるのか?」

目次

  
    1. 自己啓発本が売られ続ける理由
    2. 成功法則はスキルありき
    3. 高度スキル獲得方法1
    4. 高度スキル獲得方法2
    5. カンフル剤や具体的手法の話
    6. 自己イメージの話
    7. 大学受験スキルの話
    8. 芸能界スキルの話

 

 

自己啓発本が売られ続ける理由

  

私の本「今の日本の教育改革のネタ元本」からの抜粋です。

 

自己啓発本はなぜ、数冊~数十冊読めば事足りるのか?」

 

 自己啓発本を読む人は多いと思います。ビジネス書でも、売れ筋のジャンルでしょう。では、なぜ、自己啓発本が売られ続けるのでしょうか?

 

その背景には過去の自己啓発本では変われなかった層が必ず出てきたという側面がありました。そして、同じような本を求め続けるのです。ダイエット、英語、成功本など、毎回、手を変え品を変え出てきます。ですが、ほとんど同じことを言っているように感じます。

 

今回の文章の目的は、私のこの文章を読めば「もう自己啓発本にそんなに手を出さずに済むよ」と言いたい希望が出てきたので、文章化しました。では、書いていきます。

 

成功法則はスキルありき

成功法則というのは、結局、スキル(技術)ありきです。詳しく説明しましょう。テニスの話で言えば、スキルがあれば、メンタルがかなりタフネスな相手にも勝てます。

 

それは、フェデラー選手対錦織選手の試合で発見しました。フェデラー選手のサーブはギリギリを狙い、ラリーもギリギリを狙います。これは、フェデラー選手が培ってきたスキルです。そのスキルの前には、錦織選手は歯が立ちませんでした。

 

錦織選手は試合の中では、勝利に対する執念もメンタルも負けていなかったと感じます。ですが、フルセットの末、敗れました。このことから言えるのは、勝利に対する執念やメンタルだけでは試合には勝てないという残酷な事実です。

 

高度スキル獲得方法1

では、フェデラー選手はどうやってそのような高度なスキルを身につけたのでしょうか?そこには、「世界一じゃないと気持ち悪い感覚」という高い自己イメージがまずあるでしょう。「世界一じゃないと気持ち悪い感覚」があるからこそ、必死にトレーニングします。

 

これをもっとわかりやすく説明すると、「自分に対する評価基準がかなり厳しい」ということです。イチローは世間の評価は3割打てればまぁいい方だと言いますが、「自分への基準は4割打てて当たり前だ」という発言をしています。このことからも、「世界一じゃないと気持ち悪い感覚」とは、「自分に対する評価基準がかなり厳しい」とほぼ同じだと言えます。

 

他者に対する評価基準が厳しい人はいくらでもいますが、「自分に厳しい人は珍しい」のです。または「当たり前の基準がかなり高い」とも言い換えられます。イチロー選手やフェデラー選手の「当たり前の基準は世界一レベルのイメージ」であり、「世界一の練習をこなすこと」であり、そこがコンフォートゾーン(快適な空間)なのです。

 

「世界一じゃないと気持ち悪い」感覚が、フェデラー選手やイチロー選手のコンフォートゾーン(快適な空間)であり、そこに留まらせます。

 

世界一というレベルの例からはずれますが、例えば、試験で100点を取るのが当たり前の感覚であり、「100点がコンフォートゾーン(快適な空間)の人」と「70点を取るのが当たり前の人」とでは、自己意識が全く違うでしょうし、実際に出る点数も異なるでしょう。(100点を取るのが当たり前の感覚の人は100点を実際に取る努力をするのです。100点じゃないと気持ち悪い感覚があり、本気だからです)

高度スキル獲得方法2

話を戻します。

自己イメージが、本気で「世界一じゃないと気持ち悪い感覚」を持っていれば、必死のトレーニングの動機にはなりますが、それは高度なスキルへの出発点であり、きちんと段階を踏んで限界的練習を積んだ者だけが、高度スキルを獲得できます。そして、「高度スキルと自己イメージがようやく合致する」ようになるのです。

 

また、「メンタルはこの高度スキルを本番時の究極の緊張下でもいつも通り発揮させる役割」に過ぎません。メンタルがいくら強くても、高度スキルがなければ、それを本番でやるというのは難しいのです。つまり、やはりスキルありきなのです。「スキル獲得こそが成功法則への道」と言えるでしょう。

 

スキルとは、経営力(経営者の能力)、政治力(政治家の能力)スポーツそれぞれの競技でのスキルなど、多岐に渡ります。

 

タイトルにあるように、「自己啓発本は数冊~数十冊程度読めば事足りる」と書いたのは、結局、自己イメージを上げるような話ばかりであり、地道なスキル獲得についてはあまり触れられていないからです。結局は、「自己イメージを上げた後は、地道に限界的練習をこなし、スキル獲得するのが王道」なのです。

 

カンフル剤や具体的手法の話

また、自己啓発本は一種のカンフル剤のような感覚が私の中にはあります。一時的にはやる気が出るのですが、また元に戻ってしまうのです。さらに、自己イメージを上げるだけ上げておいて、「成功までの具体的な手法や方法論」についてほとんど書いていない本もあります。自己イメージを上げる、つまり、いい気持ちにさせてるだけとも言えます。(やる気も一時的には出ます)

 

しかし、結局は具体的な手法や方法論、つまり過程を経ないと成功するわけがないのです。それについての言及がないとしたら、自己啓発本とは何の役割なのでしょうか?

 

やはり、「やる気を一時的に上げる一種のカンフル剤」だと感じてしまいます。成功への具体的な手法や方法論、また地道なスキル獲得を読者に委ねる本が多すぎます。その部分を書いた本こそが貴重な情報だと私は思います。(私の本はその役割を目指しています)

 

いや、実行過程においてはダイエットであれば、ライザップのような個別トレーニングになり、金がかなりかかるのが普通であり、自己啓発本だけでダイエットを成功させるのは至難の業でしょう。要するに、実行段階はきめ細かい指導を持続的に受けられる環境下にいないと、普通の人は実行し続けることができないのです。

 

ここに、ビジネスチャンスがあると感じます。英語であれば、英語の個別トレーニング、成功法則でも個人コーチングなどになります。消費者からすれば、金がかなりかかるのが難点です。そういう環境下にいないと、実行し続けられないということは、やはり普通の人となります。本当に凄い人は、「自己啓発本を読んだ後は自分の力だけで実行し続けてしまう」からです。(プロとなると、コーチは必要。客観的なアドバイスが要る)

 

自己イメージの話

また、自己イメージについて言及しておきたいことがあります。それは「自己イメージだけ上げるのは危険と紙一重」という話です。自己イメージが地道なスキル獲得を伴わないとしら、自己イメージだけが先行します。もちろん、自己イメージが低いよりは高い方がいいのはもちろんですが(やる気がでるので)、そこには「過信、慢心」という隙が出てくるのです。

 

つまり、「自分はできる」と思い込みすぎてしまい、地道なスキル獲得をおろそかにしてしまうのです。(その理由は、自己啓発本などで励まされ、いい気持ちにさせられ、もう既に自分は成功者と感じたり、極端な話では既に実行したと思い込んでいるからだと推測します。「本当にやり遂げてから」こそが本物です。「やり遂げていないうち」はまだ途上です)

 

この過信、慢心は本当に危険ですので、自己イメージを高める際には注意してください。

 

大学受験スキルの話

さて、スキル獲得が成功への第一に重要な要素だとしたら、日本の大学受験の試験を解くスキルは過剰スキルか、または社会に出てから役立つスキルとは別物だと言うことができます。なぜそうなるのかと言うと、「落とすための試験」だからです。

 

現代文(小説も含む)で言えば、わざと難解な文章を選び、しかも全文ではなく一部を切り取った文章であり、さらに、巧妙な選択肢で平均点を下げる調整試験と言うことができます。日本語であれば、普通は分かりやすく書けばほとんどの人は理解できるわけであり、わざわざ難解に書く理由は普通はないのですが、落とす試験の目的上、そうなっています。

 

難解な文章を読み解くスキルは限られるでしょう。そして、難解な文章は高尚なわかりにくい表現を使って難解に見せているだけであり、大抵においては言っていることは大したことないことが多いと感じます。(もちろん、哲学やアインシュタイン相対性理論など元々難しいものもあります。それらはいくら分かりやすく書いても、難しくなってしまいます) 

 

また、古文・漢文は文学部以外では実用性が薄い分野であり、今さら何に使うのか不透明です。英語も論理パズルのような問題であり、英語運用能力を問うていません。(英語運用能力なら、TOEICや英検やTOEFLになるでしょう)

 

もちろん、論理パズルのような問題を解く力が大学に入ってから必要と言う意見もありますが、わざわざ英語で問う必要性があるのかは疑問です。そして、世界史・日本史などの歴史は単なる暗記地獄試験であり、歴史学のような教訓を学ぶ深い考察は問われません。

 

理系に関してはあまり詳しくないので、言及は避けます

 

このように、大学受験のスキル獲得が通用するとしたら、予備校や塾の講師などの仕事に限られがちです。本当に生きていくためのスキルを学ぶならば、小論文や論文や執筆力や話す力や、プログラミングなどの技能系、果ては経営コンサルなら経営系の専門知識や解決手法などになるでしょう。(他にも、職業別に多彩なスキルが存在します)

 

スキル獲得という視点から見たら、「日本の大学入試は終わっている」と言えます。

 

日本の大学の問題点は入試試験は落とすためであり、「かつ過剰に難しくしすぎて、入る人を選びすぎ、入学後は卒業を楽にしている点」です。対して、アメリカなどは「入るときは比較的簡単ですが、卒業が厳しい点」です。どちらが良いかと言われたら、アメリカ型でしょう。

 

そして、日本の高学歴は官僚になりがちであり、彼らが日本を牛耳るのです。その高学歴が単なる膨大な暗記試験を勝ち抜いた人材であり、思考力などはそこまで問われなかったのですから、日本のエリートのもろさが分かるというものです。スキル獲得は成功への王道なのですから、大学入試も大学の教育もスキルに焦点を当てなければいけないのに、単なる教養やパズル系ばかりであり、社会に出て本当に役立つスキル育成をしていないわけです。

 

この問題に切り込んだのが私の「今の日本の教育改革のネタ元本」です。

 

芸能界スキルの話

ここで話を変えます。

 

普通は仕事と言えば、スキルに対して払われます。高度スキルであれば、かなりの武器となり、高収入が可能でしょう。特に、代替不可能な「他の人ができない高度スキル」であれば、収入は青天井かもしれません。普通の会社であればスキルに対して、金が支払われます。

 

しかし、芸能界ではスキル以外の要素まで求められているようなのです。お笑い芸人であれば、お笑いネタなどのスキルであり、音楽家であれば音楽スキルが求められ、それだけでいいじゃないかと思うのですが、昨今の不倫騒動など、倫理的・人格的要素まで、突っ込まれるようになりました。

 

このことから、芸能人は、スキル以外、つまり人格の高さまで求められるようになったのです。これは言い換えますと、スキルは芸能スキルだけでなく、人格も含まれるということであり、スキル(=芸能スキル+人格)ということになると言えます。

 

あまりにも、「芸能人に多くを求めすぎなのではないか?」と感じます。普通の会社でスキルに人格まで加えられていますか?いや、ほとんどの会社では含まれていません。だから、今の芸能界は異常な世界になっていると言えます。

 

とはいえ、この人格要素までを芸能人に求めたことから、TVは品格が高いと見なされ、TV局の価値は上がったという側面はあるかもしれません。TV局は品格が高く、正当さがあるのだよと、芸能人の不祥事を許さない姿勢から、暗に示しているのです。

 

それが、TVに対する信頼を増やしている可能性があります。もしくは、あまりにも芸能ニュースが多すぎて、逆に、一般人は「もう芸能ニュースはいいよ」と思っていること考えられますが。この話題は、業界人は面白く感じるでしょうが、一般層は他人事なので、つまらなく感じるかもしれませんね。

 

以上です。

 

参考文献。

katohaya2125.hatenablog.com

 

 

katohaya2125.hatenablog.com