政治、経営が属人的なことはいいことなのだろうか?

「政治、経営が属人的なことはいいことなのだろうか?」という点について述べていきます。

 

属人の意味とはビジネスの文脈でいえば、業務が特定の人物や担当者など(人)に依存してしまっていることを指します。

 

属人化の対義語は「マニュアル化」「標準化」です。つまり、仕組化により特定の人に依存しないで、誰にでもできるという意味です。

 

経営の世界では特に、属人化はつきまとわります。経営者次第で業績が大きく変わるということです。そのため、経営者の後継者選びで苦労します。

 

よく考えれば、政治の世界も属人化しています。例えば、アメリカの大統領が誰になるかで、世界の流れ、動きは変わります。トランプ大統領の政策で、世の中が大きく変わりそうですよね?日本でも、首相が誰になるか?で政策も大きく変わることから、後継者選びも難しくなります。

 

この属人化という要素は、経営や政治だけでなく、スポーツ芸術では顕著です。スポーツでいえば、サッカーでいえば組織的なサッカーというのもありますが、個が強いブラジル型サッカーなどあります。野球も、個人技、人によって、かなり能力や成績や結果が異なります。

 

芸術ではもはや属人化されているのが当たり前の世界です。個性が売りですから、その芸術家本人がいないと成り立ちません

 

属人化って、けっこう当たり前の要素だったのですね。

 

文科省人間力を謳(うた)いだしたのも、属人化の怖さを知っているからだと思います。学力、偏差値バカとは基本的にマニュアル化され、誰でもできる代替可能な人物ということになりやすいです。

 

そういう人物をエリート大学では輩出しないように、属人化の要素を高めるために、人間力を謳い始めたと私は考えています。「誰が言うのか」で人の影響力はかなり変わるのです。これこそ、人間力であり、「誰が言うのか」で影響力があり、オーラがあり、他の人に取って代わられません

 

そう考えると、大学入試の一斉のセンター試験の一点刻み方式マニュアル化と相性が良く、属人化とは方向性が異なります。なので、文科省属人化人間力なども考えて、記述式を導入しようとしたのかもしれません。表現力、つまり書く力は、属人性がよく表れますから。

 

しかしですよ。属人的な人物を生み出そうと文科省が考えているとして、スポーツ芸術の世界では個性が充分に発揮されるのは良いと思いますが、経営政治の世界では属人性が強調されると、けっこう嫌なことだと私は考えています。

 

理由は経営、政治の世界での属人性の重要度が高いということは不安定につながるからです。社長や、首相次第で、成果が変わり、世の中の動向はどちらにでも転がります。

属人性が高いので、好業績かと思いきや、社長が変ったとたん、急降下ということもありえるわけです。

 

なので、後継者選びでかなり苦労するのです。孫正義氏も後継者選びで苦労していますしね。トランプ大統領が誕生したときは、日本の国民は戦々恐々としたのではないでしょうか?メキシコ人もそうです。日本に不利となる政策や、メキシコへの壁を作るという公約など、トップが変わるだけで、ここまで変わるのか、不安定になるのかと思い知らされたはずです。

 

タイトルの「政治、経営が属人的なことはいいことなのだろうか?」への答えは、私は基本的にいいことだと思いません。世の中やビジネスでは不安定すぎるからです。しかし、属人化を変えることができないとしたら、つまり、マニュアル化や仕組化で対応できないのだとしたら、トップ選びはかなり慎重に選ぶべきでしょう

 

マニュアル化仕組化は、属人性がなく誰にでもできるのが売りであり、マックのアルバイトなどはそうなっています。それが、スポーツや芸術などの属人性個性が売りの世界なら、マニュアル化は必要ないですが、政治や経営などの一定の安定性や業績が求められる世界ならば、属人性は多少弱まった方がいいと思います。

 

属人性を弱めるためには組織や党自体である程度の属人性によらないマニュアル化を取り入れるべきでしょう。トップダウンが強すぎないようにするために、側近を固めたり、レッドチームなどを作り、自社を潰す策やトップへの諫言を許す風土づくりなども必要になってくると思います。

 

属人化はスター性や人によって変わるという良い意味合いもあるのですが、同時に、人によってかなり変化する(悪い方向にも)という意味合いもあり、もろ刃の剣です。

 

こういう視点を理解しておくことも大事なのではないでしょうか?