「人は人、自分は自分」で割り切れるのか? 厳密版

 

「人は人、自分は自分」という言葉があります。ある意味、割り切りが大事であり、「人それぞれ、人生観、価値観は違うんだよ」と諭している言葉です。

人間理解の上で、この思想は重要です。この割り切りができないと、自分の価値観が絶対となり、宗教となり、戦争となります。多様性も認めません。

しかし、「人は人、自分は自分」は他人には適用しやすいですが、身内には実は適用しづらいという欠点があります。(適用しづらいというのは主観であり、適用するという人ももちろんいます。ここからはあくまで身内には適用しづらいという主観を多数派と捉えて主張します)

身内とは特に、自分の兄弟や親や子供などを指します。他人なら、割り切りも可能ですが、身内になると価値観が異なる場合、ぶつかりやすくなります。

自分の娘にはキャリアウーマンになってもらいたいから、「魚の釣り方」を教えるために、学び方を教えようとしても、その娘は「お嫁さんや専業主婦志向」であり、「魚の釣り方」なんて学びたくなく、誰かに依存しようとします。

子供には高学歴にさせたくて、勉強させようとしても、子供は勉強したくないか、もしくは芸術家になりたいという事例はけっこうあるでしょう。

「人は人、自分は自分」の割り切りは、他人には適用しやすいですが、身内には適用しづらいのです。

身内だからこそ、厳しいことや本音をぶつけます。他人には「所詮、他人事」なので、厳しいことや本音をぶつけず、対処療法や無責任な言動を採る人もいるでしょう。

責任を取らされるというシステムにしないと、会社や他人はちゃんと仕事をしないし、真剣にやりません。そういう意味では、割り切っている人はある意味、楽をしているのではないか?と私は感じてしまいます。

価値観の押しつけは、どうでもいい人にはしません身内だからこそ、価値観の押しつけをし、きちんと育って欲しいのです。

もちろん、身内でされる側はそういう価値観の押しつけを嫌います。そこで、身内間のトラブルが生まれるわけです。ある意味、押しつけなくなってきたら、見放したという意味もあるのです。

この身内での価値観の押しつけという問題は普遍的なテーマだと思います。「嫌われる勇気」という本では、結局、「人は人、自分は自分」を説いているに過ぎません。相手の行動は、自分では制御できないという割り切り(相手の課題)ですからね。

ところで、「勝つための、成功者になるための価値観ってある程度、確立されている」と思います。それを押しつけるのは会社や社会では常識に近いと思います。(一部の勝つ気のない企業や上司の下では必ずしもそうではありません)

ですが、怠け者の人はそういう価値観に反発します。勝つための、成功者になるための、果ては社会の秩序を保つための価値観を、日本という国において、多数派が認めなくなり、少数派になったら、日本没落になるでしょう。負けてもいい、不正がはびこってもいい価値観が蔓延したら、日本は崩壊します。

犯罪だらけになり、貧困層で溢れるでしょう。だからこそ、為政者は日本存続のために、「勝つための価値観」を必死に守ろうとしているのです。

話を戻しますが、身内に厳しいのも、世の中で成功してもらい、子孫を残して欲しいからでしょう。(これも、大きな成功を望んでいるかや子孫まで残して欲しいかは人それぞれですが、そういう傾向のある人が多数派だと捉えて書いています)

自分の子供の子育てがどうでもいいなら、価値観の押しつけはしないか、放任主義になる確率が高いでしょう。放任主義ということは、どういう子供に育つかは、遺伝か運の要素がかなり強くなります。

「人は人、自分は自分」の思想は世の中をストレス少なく渡っていくには大事ですが、適用できないか、適用しづらい場面も多々あるということです。

身内じゃない他人には他人事で済ます人が多い中で、厳しいことを敢えて言う選択肢もあると思いますが、身内ほど親しくないので、伝え方には注意する必要があるでしょう。また、責任を身内と同レベルで取れるかも疑問符なので、あくまでアドバイスに留めるというのもありだと思います。

一番、楽をしている人は「人は人、自分は自分で」厄介事には介入しない人達です。

次に、楽をしている人は「他人にも、身内と近いくらいに厳しく接する」人達です。

一番、苦労をしている人は「他人に、身内と近いくらい厳しく接するのですが、伝え方に注意を払い、忍耐強く指導し続ける」人達です。

ですが、最後の人達は金をもらう塾などでなければ、ほとんどの人はやらないと個人的には思います。(ビリギャルの映画などを見てもらえれば、ある程度、理解してもらえるかと。ビリギャルの場合は、厳しいというより、伝え方に注意を払い、忍耐強く指導し続けた話です)

また、身内と同じぐらい他人に厳しく接したいという本音がある人達もいるでしょうが、自分の立場を考えて「言えるほど実績を残しているわけでもないからな」と思い、遠慮する人達もいるでしょう。

人は、「誰が言うのか」によって、説得力が違います。身内なら、親の能力が低くても、真剣さはある程度、伝わるでしょうし、責任も取りやすいですから、厳しく接することができます。ですが、他人に対しては自分の立場を考えたり、厳しいことを言って嫌われるのも面倒だし、全責任を負えるかもわからないなどの理由で、割り切るという人達も多いと思います。

ですから、一番楽な「人は人、自分は自分」選択肢を採る人が多いのではないでしょうか。最後の苦労の道は、自分の人生もありますから、あまり採りたくない人が大半だと予測します。

伝え方まで注意して、アドバイスしたり叱ってくれる人は貴重な存在でしょう。しかも、その人が、その道の第一人者や成功者なら尚更です。世の中には自分の立場さえ考えず、説教したがる人達が多いですので。

身内になら通用しますが、他人に言ったら、「あなたが言える立場なの?」と大半の人は感じるかもしれません。よって、やはり大半の人の選択肢は「アドバイス程度に留め、あまり介入しない」が適切だと思われます。

会社で部下を持ったり、身内に接する際は最後の苦労の道を選ぶのがベストです。(しかし、苦労の道なのでかなり疲弊します。教師ですら、見放す場合が多いのです。楽な道を選ぶということです)

普遍的なテーマであり、日本のコミュニケーションを良くする内容だと思うので、シェアします。