全て(理論や法則など)を「一般化、普遍化」は良くない。

 

世の中の法則や戦略などにおいて、「一般化、普遍化」をするのは良くないと私は考えています。

例はたくさんあります。

1  1997年の消費税増税局面(元橋下首相が5%に引き上げ)と、2014年に安倍首相が8%に引き上げた局面では、情勢が異なるのです。

2  元小泉首相が2005年に衆議院解散の際、郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」と、他の論点を省いて、郵政民営化に賛成か反対か?だけを問いました。当時は、斬新な手法で、メディアも大きく取り上げ、元小泉首相勝利でした。ところが、2014年の東京都知事選では、「脱原発」を掲げた細川・小泉陣営が、舛添氏に敗れました。この件で、細川・小泉陣営はまたもや脱原発に賛成か、反対か」というロジックで攻めました。ですが、もはや目新しさもなかったのです。

3  性格診断などにおいて、この人はこのタイプだと診断したとしましょう。大体の行動は性格のタイプにより行動すると予測がついても、毎回、確実にその性格によって行動するとは限りません。最初からレッテル張りをしないほうが良いのです。「この人は性格診断によるとこのタイプ」だからと、個別の生の人間を、性格診断といえども「一般化、普遍化」して用いるべきではありません。生の人間なのです。ここは要注意です。

4  ことわざでも、反対の意味の言葉はたくさんあります。

「善は急げ」⇔「せいては事を仕損じる」

「三人寄れば文殊の知恵」⇔「船頭多くして船山に上る」

「渡る世間に鬼はなし」⇔「人を見たら泥棒と思え」

「二度あることは三度ある」⇔「三度目の正直」

「一石二鳥」⇔「二兎を追うものは一兎を得ず」又は「虻蜂取らず」 

「危ない橋を渡る」⇔「石橋をたたいて渡る」

「果報は寝て待て」⇔「まかぬ種は生えぬ」

「好きこそものの上手なれ」⇔「下手の横好き」

「立つ鳥後をにごさず」⇔「旅の恥はかき捨て」又は「後は野となれ山となれ」などです。

自然科学は、「一般化、普遍化」は正しいかもしれません。水が100度で沸騰するは、例外はありません。宇宙空間や他の星ではわかりませんが。しかし、人文科学や社会科学は人間が絡むので、例外がほとんどのケースであるので、一つの法則や戦略を「一般化、普遍化」することは危険なのです。

その局面、状態において、毎回、個別に判断していくことが必要です。最適解が毎回、異なっている可能性があります

社会科学の理論は、抽象度を上げれば、規則性、繰り返し性があります。抽象度を下げれば、具体的になり、1回限りの出来事になります。そこには、いろいろな具体的で個別的で細かい点が加えられます。特殊要因のことです。抽象度を上げた理論は、具体的で細かい点(特殊要因)を省いて、共通項を見出し、法則化します。

ですから、理論を盲進しない方がいいことになります。局面ごとに、特殊要因が働く可能性が高いのです。

「ビジネス思考実験」という本によれば、社会科学は、「ある環境下において、こういう現象が多い」ということを主張できるだけとあります。P84からの抜粋です。

たとえばシェアが大きいと利益率が高いという傾向は今でも認められます。つまりシェアと利益率というのは強い相関があります。しかし、シェアが小さくても利益率が高い会社はあります。それは他の要因が利くからです。

ということは、シェアを大きくしたほうがいいという発想は重要ですし、同時に、シェアが小さくても利益率を上げる方法があるはずだと考えることも重要だということです。以上、ここまで。

このように、全て(理論や法則)などを、「一般化、普遍化」することは良くないのです

いつも、理論が適用できると考えない方がいいのです。局面ごとに、考える必要があります。特殊要因が働いている可能性がありますから。

理論化するときは、要因となる変数を決めますよね? その要因が高い確率で発生するものが主要な変数になりますが、低い確率で発生する特殊要因があり、それは人間では見つけられない複雑性かもしれません。それを克服するのが、人工知能でしょう。

人間の場合、何かの意思決定をする際は、高い確率の要因(変数)で意思決定するしかないでしょう。低い確率の要因(変数)は見つけられないでしょう。

また、高い確率の要因(変数)をほぼカバーしていれば、意思決定の際は、問題ないとも感じます。人間は物事の出来事の発生の際に、理由付けをしたがる生き物です。

理由があり、出来事が起こるという因果関係が好きです。しかし、人間は不合理な一面もあり、無意識にも左右されるので、因果が通用しないこともあります。理由が見つからない場合です。その時の気分という理由もあるかもしれません。その気分はその人の置かれた環境や育ってきた経歴や、無意識下に与えられた刺激などによって、引き起こされたかもしれません。そうなると、人間では理解できないのです。

1人の人間の行動の理由さえ不透明なことがあるのに、多人数になったら、お手上げです。

しかも、互いに、フィードバックしあっています

人間の意思決定には限界があります。高い精度で結果を出せる人は、高い確率の要因(変数)を見抜いているのでしょう。しかし、特殊要因が働く場合もあり、たまに外しますが、主な変数を押さえているので、強いのだと思います。

この世の中は、理論通りにはいかないですが、それでも理論化しようと努力し、ある程度の必勝パターンがあるなら、やはり勝ちやすくなります。何も考えてない、理論化してない人よりは意思決定の質も精度も変わってきます。

全て(理論や法則など)を「一般化、普遍化」しないように気をつけ、局面ごとに考えていけば、良い意思決定に近づくでしょう

簡単にまとめますと、コンテクスト(文脈)によって、法則や理論などを変えよということです。文脈あってこその法則や理論なのです。文脈とは前提条件や環境や背景知識やバッグラウンドや経歴などたくさんあります。文脈が変われば、法則や理論や戦略を変える必要はあります。一言で言えば、柔軟性が大事ってことです。杓子定規が反対の意味ですね。融通が効かないことですから。

また、他人に伝える時でも、その人の文脈(経歴やバックグラウンドや生育歴や前提知識など)によって、伝え方も変えるべきなのが本来の姿です。

個別にオーダーメイドするということです。

しかし、それはメディアの都合上(TVや新聞は特に。個人メディアでも限界があります)、無理な相談なので、最大公約数を狙った一般論しか述べられません。

人によって、受け取り方も変わるでしょうから、著者と同じような解釈をしているかは非常に怪しいのです。

よく起こることですが、記事を読ませて、個別に解説すると、理解されることが多いです。

それだけ、その人の前提知識も違うということです。(その人にとっては説明不足な点があるわけです)

今日の記事は、上級者向けでした。

理論を盲進している人に注意を促す内容です。